ここしばらく、色々あったので

低気圧も相まってややドヨンとした今日の
仕事の帰り道に思い出した。




今日は落ち込んでるから
今日は体調が悪いからと

「楽しさや美しさを感じる」

ことまで放棄しちゃいけない、
っていう個人的な誓いのこと。






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状況と自分のコンディションが
整っていないと
世界の美しさを感じられない、
みたいな思考法だと
人生のほとんどを
美に触れられないまま終える。




それに気づいたのは
モラハラDVな元夫のそばに居た時だ。




仮にこの男から逃げたところで
この思考法が変わらなければ
私はどこで、誰と居ても居なくても
不幸せなままだ。




若い時は経験と賢さが。
老いてからは若さと美が。
いつだって私には
必ず何かが足りていなかった。
この論法だと、
私は老いて弱ったりしたら
もう美を感じられないということになる。



“今”はそんなものじゃない!




馬鹿なのも
不安なのも
いつものこと。
完璧に揃った”いつか”なんて
永遠に来るわけがない。
揃えるにしても
少しずつしか足していけない。




だから、
不完全なまま
私は今この瞬間の美を感じたいし
感じなければそれは
私の命に対する冒涜だ。




私は今
子供をちゃんと守れるのかという
不安に慄いているが、
そのさなかにも
私は今を味わい楽しまなければならない。




人生は壮大な無意味と無駄の連続なのだが、
捨てるところは一ミリだって無いという
ものすごい、ものなのである。