ロックダウンしないスウェーデンのコロナウイルス対策責任者「死者数の多さは想定外」(BUSINESS INSIDER JAPAN)



↓一部抜粋

スウェーデンの疫学者であるアンデルス・テグネル(Anders Tegnell)氏は5月6日に、トレバー・ノア(Trevor Noah)が司会を務めるテレビ番組「ザ・デイリー・ショー(ザ・デイリー・ショー)」に登場し、議論を呼んでいる同国の取り組みについて述べた。

「もちろん、死亡者数が多くなるとは考えていなかった」「多くの人々が病気にかかるだろうとは予想したが、死亡者数は本当に驚きだった」


6日の時点で、スウェーデンは2万3000人以上の感染者、2700人以上の死者が報告されている。この死者数は、近隣の北欧諸国や封鎖された他の多くの国々よりもはるかに多い。

テグネル氏は、厳しいルールを課さずに、人々が自発的に社会距離を取ることに大きく依存するスウェーデン独特の戦略には、よい点があると述べた。

しかし同時に「私は我々が他と異なる方法を取ることで成功したと言っているのではない。つまり、我が国の死亡者数は、我々がとても憂慮していることだ」と認めた。

同氏は、スウェーデンでは老人ホームへの訪問が禁止されているにもかかわらず、多くの欧州諸国と同様に、老人ホームでの死亡者数が非常に多いことを指摘した。

「彼らを病気から遠ざけることは非常に難しい。我々がいくら最善を尽くしていても、それは明らかに十分ではない」と彼は言った。 

「もちろん、誰かの命を他の誰かの命よりも優先させているわけではない。それは我々のやり方ではない」

テグネル氏は4月下旬に、アメリカの死者の少なくとも半分は老人ホームにおけるものだったと述べていた。「老人ホームにいる人たちをこの病気から隔離しておくことは、我々のほうがずっと上手だと思っていた」と彼は言った。

テグネル氏は以前、封鎖していれば死者をもっと少なくできたかどうかを知ることは「非常に難しい」と述べていた。多くの人が(訪問を禁止されている)老人ホームで亡くなっているからだ。

テグネル氏の出演した番組は以下のリンクから視聴できる。

[原文:The head of Sweden's no-lockdown coronavirus plan said the country's heavy death toll 'came as a surprise']

(翻訳、編集:Toshihiko Inoue)




スウェーデン理解度0〜3%の私には

この件に関するスウェーデンの人々の

体感を推し量るすべはない。



が、外野から見る限り、

スウェーデンの福祉水準とは

老人や障害者などの数を

一定以下に抑えることによって

保たれている側面は大きいのだなと思った。




永遠に続くかのような強烈な寒さ、

常冬の地にあっては

非常に理に叶った方針である。




足手まといを養う余裕が少ないのであれば、

社会は自ずと生きの良い丈夫な個体を

優先するようになるであろう。

一方、子を生む女は社会的に手厚く保護され

離婚しても単身で子育てしやすい

社会環境を整えてもいる。





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ナチス思想がヨーロッパを席巻していた当時、

北欧諸国はその優生思想に

賛意を示していた国々の一部であった。


ナチス・ドイツの優生政策


↓一部抜粋

 当時、強制断種政策を実施していた国はドイツだけではない。 当時の欧米諸国、例えば、アメリカ、カナダ、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、アイスランド、スイス、オーストラリアでは強制断種が行なわれていた。 日本でも1940年(昭和15年)に遺伝性精神病などの断種手術などを定めた「国民優生法」が制定された。 

ナチスが学校教育で用いた図「劣等分子の重荷」








この図には次のように書かれている。 「遺伝病者は国家に1日あたり5.50マルクの負担をかけている。 5.50マルクあれば遺伝的に健康な家族が1日暮らすことができる」と。 


ナチスが作った宣伝用ポスター
椅子に腰かけた脳性マヒと思われる男性障害者の後ろに、健康でハンサムなドイツ青年が立ち、かばうように障害者の肩に手を置いている。 そして、「この立派な人間が、こんな、我々の社会を脅かす病んだ人間の世話に専念している。 我々はこの図を恥ずべきではないのか」という説明文が付けられている。 ナチス・ドイツでは遺伝性疾患を持つ人が如何に「民族共同体」に負担をかけているか、彼らが如何に意味も無く国民の大事なお金を使う存在であるかが強調された。 




この考え方は、相模原障害者施設殺傷事件

起こした男性と全く同じである。

私はこれを「理論(左脳)的思考の極北」と

名付けている。




善悪を一旦横に置いて考えてみてほしい。




人間社会をコスパ重視で構想した場合、

この理論は非常に正しい。

正しいが、中途半端だ。



なぜなら真にコスパを考えるならば

人類全てを根絶やしにすれば

コスパは最高値を記録するからだ。

コストゼロだ。




ところがこの理論を展開する人は

「自分は生き残っていい人です」

となぜか信じている場合が多く、

根絶やしは嫌そうである。コスパいいのに。


※ この場合まず真っ先に殺されそうな非生産的な私からすると、その自信を少し分けてほしい。





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優生・スウェーデン



この「ハンデある人減らそう作戦」により、

実際、現在の北欧では

遺伝的疾患持ちの方の人口比率が

他の国より低いと聞く。

結果、福祉も手厚くなる。




私は子供の頃、代々知的ハンデのある一家の

お子さんと同級生であった。

祖父母、両親ともに障害のある一家は

毎年子供が増え続けていた。

また、父の会社で雇っていた

知的ハンデのある男性が

春が来るたびに性的軽犯罪を繰り返し、

その度に親御さんが来て

泣きながら謝罪していたのも覚えている。




だから、リベラルさんの言う綺麗事は

正直信じていない。




が、そのことと、

「生産性無いから死んでもいいじゃん」

ということとは、

話の舞台が違うようにも思う。




結局、社会の好みと要請により

こういったことは

決められていくのだろう。

そこに理論はない。

あるのはただ社会的コスパと、

それを受け止める人心の余裕の具合なのだろう。