西洋において雄弁術をもたぬ者が政に与ることはまずない。『ジュリアス・シーザー』で、一発逆転の奇跡を起こしたのも演説の力だった。Oratory(雄弁術)は知性と理性の証左だが、長らく男性のみに求められてきた力だった。本書は、女性が公の発言を禁じられてきた口封じの歴史と真相を告発する。
雄弁に加え相手の言葉を封じる=舌を抜くのは、支配者のもちうる最大の武器。本書で、まずホメロスの『オデュッセイア』が紹介されるのは象徴的だ。妻ペネロペイアが「ミュートス」(人前で発言)すると、女の仕事じゃない、と息子が止めに入る。この神話には、抗弁の機会も与えられず殺される十二人の女中たちがいることも指摘しておきたい。
オデュッセウスの名には「奸智に長けた」という枕詞がつくが、換言すれば、口八丁の巧みな抑圧者でもある。ヘンリー・ジェイムズ『ボストンの人々』で、演説の得意な女性運動家に「君のやさしい言葉を私だけのものにしたい」と言って、黙らせようとする恋人も、オデュッセウスの同類だろう。
「女がパワーを持ったときの破壊的な危険性」を象徴するメドゥーサ神話は、現代の性犯罪事情に悲しいほど合致する。彼女が怪物に変えられた理由は、彼女が男神ポセイドンにレイプされたことで「聖所を穢した」からなのだ! 被害者側が罰を受け、沈黙させられるパターンは数千年不動なのか。
女性が舌を抜かれるモチーフは、『変身物語』のピロメラから、シェイクスピア『タイタス・アンドロニカス』のラヴィニアを経て、ウォーレン米上院議員、ヒラリー・クリントンら、現実の例にまで連なっている。
本書はレクチャーを元にしている。かつて、ヴァージニア・ウルフがケンブリッジ大の女子寮で行った講義「自分だけの部屋」が女性の歩みと文学史を変えたように、スリムな本書も歴史に足跡を残してほしい。
[レビュアー]鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
新潮社 週刊新潮 2020年3月5日号 掲載