目覚めた日の思い出 | 魁‼︎ にしお塾 – あたまのたいそう おかたづけ –
これは、仕事とそのお客さんや 自分自身の人生を通して実感した事です。
心の穴を埋めるために
「何かを買い続ける」「強迫観念にかられて自己変革し続ける (せねばならないとと感じている)」人達の、何と多いことか。
私の会う人ほぼ全員、と言ってもいいかも。決して極端に病的とかではないけれどうっすらとその空気に包まれている。自分にもその気がある。他の人にも、みんな何かしらある。
その不安は絶対に買い物じゃ埋まらないんですけど買うぞ、買うぞ、買った!っていう高揚感の為にただ買う人の多さ。だから、手に入れた瞬間、自分を変えたすぐ後に虚しく胸の穴はまた空いて、次の「何か」を探す。
モノやサービス売る側からしたらいいお客さんなんですよね。際限なく消費してくれるから。世の中の偉い力のある人たちって意識的にそう言うタイプを増産しようとしてるのかな…って思ったりもする。ただ自然にそうなってるだけかもしれないけど。
子供時代、特に幼児期(0~3歳)に親から無理なやり方で引き離されたり、人間的に不安定でキツい環境で育った子供ってのは かなりの確率で胸に寂しさの穴を抱えがちで大人になってもかなり意識して努力しないと乗り越えられない。意識できたとしても、ほとんどの人はその空虚を抱えたまま生きる。モラ夫達はほぼ確実に、全員その育ち。
で、今の世の中って絶対、子供を赤ちゃん時期から親と引き離さないと働けないみたいになってるでしょう?そうならざるをえない仕事の方が多いし。求められる仕事のクオリティ高いし。
働くこと自体はいいんです。当然。だからこんな↓働き方出来たらいいのにって思う。
歩けない間はオンブして働いて、歩けるようになったら(1-2歳)子供からいつでも見える位置で働いて、3歳過ぎてしばらくした辺りから会社内にある保育室で保育して、泣いたら内線で「総務の山田さーん、タカシ君泣きやまないんでちょっとヘルプお願いします!」 みたいな。3歳も半ばを過ぎたら親が見えなくても後できっと迎えに来てくれるから大丈夫!みたいな抽象思考ができるようになるから、離れて仕事もできる。それでもその仕事場に保育施設があるのがベストだと思う。
でも、例えその時期を安心いっぱいで過ごせても、待ち構える学校というシステムの中で本来の自主性や意欲は削り取られたり始終他人と比較するメンタルを刷り込まれたりして元気をなくしていく子は多い。
なんだか世の中全体が雇われ労働者兼・流されるがままの主体性のない病んだ消費者を製造する工場みたいになってる気がする。男は労働者か兵隊に。女は労働者兼 飽くなき消費者に。男女共に、消費材として育てられる。
ひたすら他人と比べろと語り続けるメディア。より早く、より若く、より美しく、より強く、より賢く、より細くまたは太く、よりおとなしくまたは激しく。とにかく今のままのあなたじゃダメだ。足りてない。または過剰だ。成功して、スマートにソツなく生きて。あなたの人生は不幸せだ。なぜって、このモデルとほら、違うでしょう?これを買えば、努力して人に見せれば、あなたの穴はきっと埋まる!人生は変わる!保証いたしますよ!
私の選んだ夫はモラ夫で、生活も精神もガッタガタで、毎日泣いたり苦しんだり怯えたりして、よそのお家が羨ましくて羨ましくて。死にたくて、死にたくなくて。そうやって毎日生きていたら
モラ夫に顔をぶっ飛ばされてあの日、目が覚めた。
一瞬目の前に星が散ってクラクラしながら顔をブンブン振ってようやくあたりを見回したら
羨ましくて仕方がなかった他のお家の人達、みんな寝てる事に気付いた。みんな、寝たまま仕事してご飯食べて子供作って世話してた。語っていた言葉たちは全て空虚で上っ面で選び取ったものではなく一方的に与えられたものだった。
ビックリしました。…え?なにこれみんなヤベェじゃん(; ゚д゚)え?え?え? み、みんな、何やってんの?あたしこそ、一体全体何やってたんだ?
生活は何も変わっていないのに全然違って見えてきたのです。
つづく