一九九〇年版の『外交青書』で注目されることは、西側の一員、アジアの一国という「いずれの立場からみても重要であるのが日米関係である」、とハッキリいっていることだ。ここに外務省の本音があるとみていいだろう。前後の文脈からみれば明らかなように、日本の外交上の理念・原則とはアメリカの理念・原則にほかならないという考え方がにじみ出ている。日本には、憲法の掲げる平和主義という国際社会に誇るに足りる理念があり、政府・自民党でも、少なくとも建前としては平和を掲げざるを得ないのに、外交の理念・原則とされないのはなぜだろうか。


外務省が扱う外交問題は、大きく分ければ、国外に原因があるものと国内に原因があるものとがある。勿論、内外の原因が重なり合って起こる問題もある。最近の例でいえば、イラクのクウェート侵攻、アメリカの軍事行動によって引き起こされた日本の「対外的貢献」のあり方という問題は、国外に原因がある外交問題の典型といえる。国内に原因がある典型的な例としては、日韓間で長年にわたって外交問題とされてきた、在日外国人に指紋の押捺を義務づける日本の制度の廃止をめぐる問題がある。


内外の原因が重なり合って外交問題化する最近の例としては、コメの自由化問題を考えればいいだろう。戦後の国際貿易の自由化を進める中で、農業を自由化の対象から外すことに熱心だったのはアメリカだった。そういう大枠の中で日本の農業、特にコメの生産が保護され、維持されてきた。しかし、いまや農業生産物が重要な輸出品目であるアメリカは、農業をも自由化するべきだと主張しているのである。


いずれの場合であっても、外国政府等との交渉、折衝が必要になる問題・課題が生まれれば、日本側の窓口になるのは、原則として外務省である。外務省の中で最初に行なわれることは、問題の中身、性質に応じて主管課を決めることだ。多くの場合は自動的に決まる。