ケネディとリンカーン大統領の人生にさまざまな点で奇妙な符合が見られることはすでに触れたが、ケネディの人生を顧みたときに、歴史上の人物のなかで私がまず思い浮かべるのは、ローマのシーザーである。シーザーもまたケネディと同じように、子供の頃は病弱だった。そして、クレオパトラという当代一の性的な魅力に富んだ女性と関係をもち、最後には暗殺された。そしてシーザーは、その最期のときに「ブルータスよ、お前もか」という有名な台詞を残している。


ジョンソンは、ケネディ政権に副大統領として入閣するまで民主党の院内総務として絶大な権力を握っていた。にもかかわらず、ケネディ政権のなかでは、最初の閣議に呼ぶのも忘れられるほどの閑職に追いやられていた。インテリぞろいのケネディ政権のなかでは、ひとりテキサス出身のカウボーイとして浮いた存在でもあった。ケネディの弟のロバートとの関係も険悪だった。


もしかしたら、マリリンーモンローという当代随一の性的な魅力に富んだ女性と関係をもち、そして暗殺されたケネディも、最期の瞬間なにか言葉を発することができたならば、「ジョンソンよ、お前もか」といったのかもしれない。ジョンソンがケネディを暗殺する内的な動機は十分に存在した。しかし、だからといって。ジョンソンを暗殺犯に仕立て上げる理由にはまったくならないことはいうまでもない。


そのジョンソンがもっとも恐れていたのが、オズワルドとソ連の情報機関との関係が明らかになり、ケネディ暗殺事件の背後にソ連がいることが判明して、共産主義国とのあいだに第三次世界大戦が始まることだったが、ケネディ暗殺事件の背後でソ連が糸をひいていたという可能性も、完全には否定はできないものの、現実的には考えにくい。カストローキューバの場合と同じように、ここでもまた、ソ連にとって、ケネディよりもジョンソンのほうが与しやすいという理由はほとんど見当たらないからである。


南部の右翼思想の持ち主たちも、ケネディ兄弟には大きな反感を抱いていた。彼らは、ケネディが黒人に対して甘いと考え、ケネディのせいで、自分たちは黒人と同じトイレを使い、黒人と同じレストランで食事をしなければならなくなったと思っていた。彼らは、黒人に甘い判決を下し、ケネディ暗殺事件の解明に当たったウォーレンを人民の敵ナンバー2と考えていた。いうまでもなく、ナンバーーはケネディである。