多くの国家がほぽ民族国家のかたちをとっていたことから、民族性ということばは、しばしば「国民性」ということばと互換的でありえた多くの思想家や歴史家が「民族性」「国民性」を論ずる時代がやってきた。時代や国籍はさまざまだが、たとえばモンテスキューだの、カントだの、ヘーゲルだのが、それぞれに主としてヨーロッパ各国の「国民性Lを記述したり比較したりした。さらにそれだけでなく、そのように記述された「国民性Lは自国民の精神的伝統と等置することで、国家的統一のイデオロギーとして使われたこともしばしばであった。フィヒテなどが「民族精神LVolksgeistを語るとき、その基調になっているのは、ドイツの民族主義であったのだといってよい。


「国民性」概念かどのような目的で使われようとも、とにかく、それぞれの民族集団が互いにちがった性質をもっている、というのは事実としてみとめなければなるまい。もちろんそのちがいは、小さなちがいでありうるだろうし、また、相対的な性質のものだ。だが、それぞれの民族固有の心理、行動様式、そして信念体系は、学問的研究の課題でありうる。十九世紀末から二十世紀はじめにかけての社会学者のなかには、この問題に興味をもった人たちが何人もいた。


社会有機体説による社会理論を構想したフランスの社会学者、A・フィエには『ヨーロッパ諸民族の心理的スケッチ』(一九〇三)という著作がある。そのなかで、フィエは、古い気質論を土台にしてヨーロッパ諸民族の心理的な特徴をとらえようとした。かれによれば、ヨーロッパ人のなかでスペイン人は胆汁質であり、フランス人は多血質、そしてドイツ人は粘液質、として特徴づけられる。主としてそのちがいによって、かれはヨーロッパの国民性をわけてみようとしたのであった。


イギリスの心理学者マクドゥガルも国民性の問題に興味をもち『国家の福祉と退廃』(著作のなかでヨーロッパ諸国民の比較をこころみた。かれのばあいは、国民性のちがいを、もっぱらさまざまな「本能」の強弱の組みあわせのちがいと、民族の「内向性」「外向性」のちがいにもとめた。たとえばフランス人がドイツ人より社交的なのは、前者が後者よりも強い「群居本能」(gregarious instinct)をもっているからだ、といったぐあいにマクドゥガルは説明したのである。


これらの学説には、いくつもの疑問を投げかけることができる。第一に、理論の当否はさておいても、観察者じしんが特定の民族集団の一員であることからうまれる偏差の問題である。ヨーロッパの諸国家は、過去数世紀のあいだ互いに競争と摩擦をくりかえしてきた。だから、たとえばフランス人がドイツ人の国民性を論じるとき、その観察なり記述なりには、フランスの利害がなんらかのかたちで投影される可能性がたかい。政策学的な配慮がはたらくときには、他の国の国民性についての評価は、さらに注意的なものになるおそれがある。