しかしその後の経済情勢は、必ずしも予想したような回復を見せなかった。今こそ財政改革や社会保障制度改革に取り組むべき時との意気込みも、そのための国民負担増は景気に冷水を浴びせ、市場原理重視の金融改革は混乱を増幅した。地価は八年連続で下がり続け、企業の倒産は史上最高を記録し、金融機関の不良債権は増え続ける。


結局、特に山一・拓銀破綻後の九七年秋以降は、二正面作戦となってしまった。もともと「不良債権処理を進めるとともに」ではあったのだが、その後の推移を見るとむしろ不良債権処理、金融危機への対応が主たる課題となっている。バブルの後始末としての不良債権処理と二十一世紀を目指しての将来構想としての金融改革。これら二つの問題を同時に処理するのは、洪水の中で自宅を改築するようなものである。しかも濁流はますます水嵩を増した。改築工事が本格的であればあるほど、本来ならば水が引いてから建て直すのが筋である。


不良債権処理(金融危機対策)とビッグバン(金融改革)はどのような手順で進めるべきであったのか。ここ数年、金融問題のみならず経済政策全体として、中・長期の課題と当面の緊急課題との間のジレンマは深刻であった。中・長期の重要課題としての財政再建や金融改革、当面の緊急課題としての景気対策や不良債権処理。


これらはアクセルとブレーキのように、矛盾する要素を持っている。橋本内閣はこれらをともに今世紀中の緊急課題とし、同時かつ強力に進めようとしたが、必ずしも成功しなかった。それでは、当面の緊急課題にメドをつけてから中・長期の構造的課題に取り組むべきであったのだろうか。


数年前に、私はそのような手順をとろうとした。銀行局長就任の九四年は、九二年に成立した金融制度改革法実施の第二ステップ(子会社の業務分野拡大など)でもあった。この法律は銀行局審議官のときに私自身が手がけたものであるだけに、それを推進したい気持は他の人以上に強かった。しかし私は、金融改革に目配りをしながらも先ず足元を固めることが優先課題だと考え、いくつかの金融機関の破綻処理を思い切って進めた上で、金融制度の改革を進めようとした。それはそれで穏当な考え方であったと思う。