『韓国企業経営の実態』これまでの韓国経済は、財閥が前衛となって少品種大量生産方式を武器に海外市場を飽くことなく開拓していった「量的拡大の時代」であった。財閥の経営規模拡大に与って力のあったのは政府の政策金融と外国借款である。これを確保し得るか否かが企業家の最大関心事であり、拡張主義的経営が韓国企業戦略の中枢に位置した。きめ細かい企業経営は二の次であった。


政策金融や外国借款を掌中にし、海外に広がるビジネスチャンスを果敢に刈り取っていくためには、機敏にして強力なトップダウンの意思決定は不可避であった。堅実ではあるがいささか悠長な日本型のボトムアップの意思決定は、韓国かたどってきたような量的拡大の時代にはそぐわない。


しかし、韓国は今や先進国の保護主義と後発諸国による追い上げという挟撃を受け、一段と高度の技術製品によってみずからの活路を開かねばならない時代に踏み込んだ。韓国経済は確かに「量的拡大の時代」から「質的深化の時代」への転換期にある。このことは「経済の時代」から「経営の時代」への変化を要請している。


そうした時代要請を受けて、韓国の学界でもマクロ経済の分析をこえ企業経営そのものを研究の対象にしなければならないという認識が次第に強まっているのは、心強い。著者は韓国における企業研究の中心的存在であり、本書も著者のそうした存在を証すにふさわしいみごとな充実をみせている。


韓国の財閥企業が閉鎖的な家族・同族経営の下、所有と経営とを強く一元化してきたこと。財閥経営が総帥の強力なトップダウンの意思決定に貫かれ、それゆえに専門的経営者が育成されにくいこと。また従業員の企業帰属意識も薄く、全社的なQC(品質管理)運動などが十分な成果を得られないでいること。本書はこうした事実に著者に固有の深い洞察をちりばめている。


にもかかわらず、著者の韓国企業像は決して暗いものではない。韓国企業は、旧来の体質に変容を迫る外的条件が新たに生まれてくれば、それに適応してみずからを変容させていく柔軟性と強靭性を備えているという確信が著者の主張の背後にはある。一九八七年夏以来の労使紛争もまた韓国企業近代化への大きなインパクトとなるにちがいない。「労働組合が強く結成されている企業ほど製品不良率が低い」といった何げない指摘は、韓国企業の進むべき方向を暗示していて私には興味深い。