これまで述べてきたように、新しい能力を開発することと新しい競争の場を偵察することは一〇年越しかそれ以上の大仕事となるかもしれない。企業力をつけたり、市場を探る際のペースを考えていても、ゴール直前のダッシュは、全力疾走してだんご状態で走る短距離競走のようになるかもしれない。



ライバル会社がそれぞれ必要な企業力と市場洞察力を並行して開発し、市場を探るマーケティングをI、二回行い、市場がついに熟したと同タイミングで判断した場合には、まさにこのような事態になりやすい。ゴールをめざすこの最後の激しい争奪戦は、重要市場をライバル会社よりも先取りし、最も急成長している最大の全国市場で優位に立ち、パイオニアとしての報酬を得るための競争なのである。



P&Gのヨーロッパ市場での紙おむつの例が、国際的に先取りすることの重要性を表している。パンパースは一九七三年にドイツで最初に発売されたが、フランスでは七八年まで投入されなかった。そうしているうちに、コルゲートは七六年にCallineというブラッドの自社製紙おむつをフランスで発売して即座に市場のリーダーとなった。八一年にやっと導入されたイギリスでは、パンパースは市場でリーダーシップをとることはできなかった。



長期間おカネをつぎ込んで奮闘してやっと、パンパースは出足の早いライバルに明け渡していた市場を取り戻すことができたのである。六三年にドイツでP&Gが発売したルノアという柔軟剤は、新規商品の導入のペースが遅いとどれだけのリスクがもたらされるのか、もっとドラマチックに物語っている。ルノアはドイツで素晴らしい売れ行きを示し、新しい商品カテゴリーを生んだが、一九年後にフランスでデビューしたときは三位の成績にとどまったのである。



そのような例とは逆に、P&Gは世界市場での高吸収性紙おむつの競争で日本のライバルである花王に先行した。一九八五年に花王は、技術的に進んだ高吸収性紙おむつを日本で出してP&Gを驚かせた。その新しい紙おむつはすぐに市場でパンパースからトップを奪った。しかし花王はアジア地域以外ではほとんど販売網やブランドカを持っていなかったため、世界市場にその革新的成果を広げることはできなかった。



こうしてP&Gは事実上花王の反撃をまったく受けずに、世界中に自社製の高吸収性紙おむつを投入することができたのである。最終的には、おむつの新技術で利益を得だのは花王ではなくP&Gだった。世界的な販売力を持っているだけで、他の分野の企業力に欠けていてはどうしようもないが、それはそれで革新的な商品開発から得られる利益を何倍にもすることができるのである。



他の例をとってみよう。アメリカではクライスラーが一九八三年に初めてミニバンを市場に出した。一〇年経って、日米のライバルメーカーとの激しい競争にもかかわらず、クライスラーはいまだにアメリカのミニバン市場の五〇%近く、売り上げにして一三〇億ドル分を保持している。それでもクライスラーはヨーロッパでの市場実績が事実上ほとんどなかったために、八四年にミニバンのような形の車を投入したルノーに、ヨーロッパー位の座を譲ることになった。九年後にはルノーは三六万台のミ三バンを販売した。クライスラーは八九年になってやっとヨーロッパ市場にミニバンを投入したが、最初の年は一一万八〇〇〇台を売るのがやっとだった。