テレビでよく話題に出るのが富士急ハイランドのジェットコースターです。
私にはとても無理で、ぜったいに乗りません。
私のような人もいれば、スリルを味わいたくて、そのような乗り物に好んで乗る人もいます。
この差はなんなのでしょうか。
私が思うに、これこそが人の「価値観」の違いの最たるものではないかと思うのです。
ジェットコースターに乗りたくない人に、「ジェットコースターは面白いよ、乗ろうよ」と誘う人もいます。
本人は面白いのだからよいのですが、乗りたくない人を犠牲にする神経はどうなのでしょうか。
人の気持を察するのであれば、自分一人で乗ればよいのです。
ジェットコースターのはなしに限らず、人は相手の感情を無視して自分の楽しさを優先することがよくあるのです。
「だって、一人じゃ楽しめないじゃん」
と言う人がいますが、じゃあ相手を犠牲にしていいのでしょうか。
けっきょくそういう人は、人のことを深く考えない人なのです。
また、中には、「正義」や「決まり」を後ろ盾にして人の感情を逆なでする人もいます。
「正義」や「決まり」を持ち出せば多くの人は反論できません。だから従うよりないのです。
しかし、「正義」や「決まり」は多くの場合、多数決で決められたもの。
少数意見は無視して作られたものなのです。
マイノリティー側は、そういう「正義」や「決まり」によって苦しむこともあるのです。
「日本の常識は世界の非常識」とよく言われるように、「常識」という概念には「正しい」もなにもないのです。
文化の違いもありますし、最近は性的マイノリティーについてもよく話題に登ります。
コロナが流行った頃、よく「県をまたいではいけない」などと言われていましたが、今となっては根拠がないことがわかっています。
今回の記事で、私がなにを言いたいのかというと、私のブログでは主にアスペルガーやHSP、ADHDなどを取り上げていますが、そういう少数派(マイノリティ側)の感情も考慮することが大事なのではないかということです。
逆にいえば、少数派の人たちは、多数派の人たちに屈することなく、時には自分を主張していいのではないかということです。
ジェットコースターに乗れないのに、無理に相手に合わせるのではなく、ときには堂々と「乗りません」と断ってもいいと思います。
多数派に同調しすぎて息苦しくなるより、そういう生き方もありなのではないでしょうか。