幼稚園の頃から家族ぐるみで仲が良く、毎日どちらかの家で一緒に晩御飯を食べていたような幼馴染がいる。
「今日はご飯どっち?」と言いながら小学校から同じ家に帰り、2家族でワイワイ食卓を囲む日々。今にして思えば、わりと特殊な少女時代を過ごしていたなと思いだすなどして、まるで毎日がパーティーのようだった。

私たちが中学2年生になった頃、彼女の親が離婚し引越しをしたことで、そんな日々は終わりを告げた。
小学校6年生の頃から他校の少年と付き合っていたもともとヤンキー気質の彼女は順調にゴリゴリのヤンキーとなり、いろいろあって高校を中退。その後10代のうちに子供を産み、離婚し、再婚し、離婚し、再婚し、その子が本日晴れて成人式を迎えた現在、新しい命を授かったという。(子もゴリゴリのヤンキーであり北九州ばりの金色-KONJIKI-の袴を着ていた。成人おめでとう!!@大阪です)

私と彼女は性格も趣味も価値観もライフスタイルもまるで正反対で、お互いに異なる道を選び続けている。彼女は私にとって、文字通り幼い頃から毎日同じ釜の飯を食べた癖も性格も知ってる家族だからそんなことは問題ではないけれど、若い頃は「私にはこんな生き方はできない」と思っていた。きっとお互いに。

私は夢に人生のすべてを賭けて上京し、彼氏も作らず毎日泣きながら「もののけ姫」を歌うことでメンタルを保ち、ときには深夜にサンドイッチ6個食べながらアメーバピグをやり、マザーテレサに八つ当たりしたり無駄にブログを鬼更新しながらも作詞活動を続けてきた。
そして2023年の9月に、人生をかけて頑張ってきた作詞活動を中断し活動休止した。

案の定燃え尽き症候群となり、案の定生きる気力がもうなくて、絶世の美青年アイドルを応援することでしか生きていることを感じられないのだけれども(懲りない)、今この場所から見る幼馴染のインスタグラムのなんと美しいことかと感動しておいおい咽び泣いている。


彼女の母と姉(同じく幼馴染)の子供3人と彼女の成人した子供と、あと知らんけど共通の友達の家族みんなでワイワイと、まるであの頃と同じ季節を過ごしていた。
自分が生まれ育った場所で子を産み、同じ学校に通わせ、私たちが親にされたのと同じように琵琶湖のキャンプ場に行き、バーベキューをし、地元の市民プールに行き、大きめの公園に行く。クリスマスにはピザとコーラとチキンとケーキをテーブルいっぱいに広げ、みんな笑顔でこちらを向いている。
この光景をずっと生み出し続ける彼女に、この歳になって生まれて初めて、生命体としてなんて正しく美しいんだ....としみじみ感動してしまった。


不器用に生きた軌跡の果てに....私の手には今なにが残っているのかと考えるたび、幼馴染のインスタグラムが輝きを増す。このありふれた日常こそが私が欲しいものだったかもしれないのに、もう永遠に叶わないから。
母の死と不在は、人生のどのシーンにおいても大きく影を落とし続けている。

同じ場所で同じご飯を食べ同じように育った彼女は、もしかしたら違う道を選んだもう1人の私ではないかしらという錯覚に溺れながらも、うらやましいけど彼女にはずっと幸せでいてほしいと心底願っている。

私の代わりに全部叶えてくれよな。そしてその光景を死ぬまできらきらインスタグラムで見せてほしい。それが今の夢かもしれない。
親愛なる幼馴染へ