スティーブ・ジョブスと部長
こんばんは、アッキーです。
スティーブ・ジョブス氏がこの世を去りました。僕としてはジョン・レノン、チャールズ・M・シュルツ、ジョージ・ハリスンに続いて途轍もない喪失感を味わう人の死でありました。人生とは好きな人を次々に失っていくことなのかもしれません(逆に次々と新しい命も生まれておりますからそれはとってもナイスであります)。
ただ人が死んでもその人のことを自分が思い出す以上彼らは生きているのとさほど変わらない感じがする、あるいは覚えている間はまだその人は死んでいないということも言えましょう。ジョージ・ハリスンなどは生きていてもあんまりニュースがありませんでしたから…。
さて、スティーブ・ジョブズですが彼はAppleの創設者の一人ですが(もう一人はスティーブ・ウォズニアック)、ぼくは彼から様々なことを学びました。今から20数年前Macintoshを初めて導入した時のこと(TBSのディレクターからのお下がり。高かった!)、ぼくはお正月になにげにMacのスイッチを入れたら”A Happy New Year”と表示されたのです。椅子から転げ落ちました。その時学びました。
「人は想像を超えたことをされると驚き喜ぶのである」と。
iPhoneには”Apple”とでかでかと印刷されておりません。裏にマークが付いているだけです。その形だけでiPhoneだとわかるからでしょう。
「己を語るな」そして「個性こそが大事である」と。
Apple製品のデザインは出っ張ったところを極限まで廃しています。よほど出っ張ったものがいやだった
んでしょう。それは操作性も同様で必要のないものが極力削られています。音楽も饒舌になっているときは伝えることが無いときで、本当に心がこもっているときは言葉や音符が少なくなるような気がします。それはとても大変なことなのですが一回一回の演奏でそういう風にできればいいなあと思っています。
Macintosh(Apple IIも)は恐るべきもので、「オレにも何かができるのではないか」と思わせる力を持っております。それが何かの誤解だったにせよ行き場のない野望のようなものを受け止めてくれる魔法めいたものがあり、それにより道を踏み外した人は数知れずだと思います。僕もいい方に踏み外したと信じています。
スティーブお疲れ様でした。今度は僕達があんたの作った作品ですんごい音楽を作るぜ。
スティーブ・ジョブス氏がこの世を去りました。僕としてはジョン・レノン、チャールズ・M・シュルツ、ジョージ・ハリスンに続いて途轍もない喪失感を味わう人の死でありました。人生とは好きな人を次々に失っていくことなのかもしれません(逆に次々と新しい命も生まれておりますからそれはとってもナイスであります)。
ただ人が死んでもその人のことを自分が思い出す以上彼らは生きているのとさほど変わらない感じがする、あるいは覚えている間はまだその人は死んでいないということも言えましょう。ジョージ・ハリスンなどは生きていてもあんまりニュースがありませんでしたから…。
さて、スティーブ・ジョブズですが彼はAppleの創設者の一人ですが(もう一人はスティーブ・ウォズニアック)、ぼくは彼から様々なことを学びました。今から20数年前Macintoshを初めて導入した時のこと(TBSのディレクターからのお下がり。高かった!)、ぼくはお正月になにげにMacのスイッチを入れたら”A Happy New Year”と表示されたのです。椅子から転げ落ちました。その時学びました。
「人は想像を超えたことをされると驚き喜ぶのである」と。
iPhoneには”Apple”とでかでかと印刷されておりません。裏にマークが付いているだけです。その形だけでiPhoneだとわかるからでしょう。
「己を語るな」そして「個性こそが大事である」と。
Apple製品のデザインは出っ張ったところを極限まで廃しています。よほど出っ張ったものがいやだった
んでしょう。それは操作性も同様で必要のないものが極力削られています。音楽も饒舌になっているときは伝えることが無いときで、本当に心がこもっているときは言葉や音符が少なくなるような気がします。それはとても大変なことなのですが一回一回の演奏でそういう風にできればいいなあと思っています。
Macintosh(Apple IIも)は恐るべきもので、「オレにも何かができるのではないか」と思わせる力を持っております。それが何かの誤解だったにせよ行き場のない野望のようなものを受け止めてくれる魔法めいたものがあり、それにより道を踏み外した人は数知れずだと思います。僕もいい方に踏み外したと信じています。
スティーブお疲れ様でした。今度は僕達があんたの作った作品ですんごい音楽を作るぜ。