北の我が家 | 針路は、北。 (北海道滞在・パークゴルフ・車中泊・ワインがある生活)

針路は、北。 (北海道滞在・パークゴルフ・車中泊・ワインがある生活)

残りの人生あとわずか。一年の半分は北海道で暮らし、パークゴルフ三昧で暮らせたら‥‥。

今は昔、下関市立商業高等学校(下商)が春・夏の甲子園を沸かせた時代があった。

私の記憶にあるのは、私と同年配の快腕・池永投手を擁した時代だ。

♪ 歴史に富める下関 未来に富める下関

甲子園で流れる下商の校歌を、私はわが母校の校歌よりも先に覚えた。


下関は歴史に富める街だ。 その歴史の多くは闘いの歴史だ。

源平の最後の戦は下関の壇ノ浦だった。

下関の小島・舟島(巌流島)は、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の場だ。

長州藩が四国連合艦隊を砲撃し、外国人水兵に砲台を占領されたのは関門海峡だ。

第二次長州征伐の四境戦争で高杉晋作が指揮を執ったのは小倉口の闘いだ。

日清講和条約は料亭・春帆楼で行われている。


宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘は吉川英治の小説でおなじみだが、

その決闘を会社名にした菓子屋さんがある。 巌流焼本舗。

ここのどら焼きは美味い。 家人が太鼓判を押すのだから間違いない。

「巌流焼」 は白餡で、「おそいぞ武蔵」 は黒餡だ。 好みの問題だが私は白餡のファンだ。

この白餡と黒餡の組み合わせを、オホーツクの街でのご挨拶用に数セット持参した。


私の住宅 「北の我が家」 の向こう三軒両隣りにもお配りした。

引っ越したわけではなく、わずか三カ月の滞在で挨拶をするかしないかは各人の勝手だ。

お向かいさんとはすぐに親しくなった。

お返しにと、酒のアテやプリンを戴いた。

昨日は3時間も話し込んで、お向かいさんの人となりも把握できた。


長時間の話を切り上げようかとしている矢先、「北の我が家」 に来客があるという。

お向かいの奥さんが窓越しに 「北の我が家」 を見ていたらしい。

急いで帰ると、来客とは隣の息子さんだ。

とてつもなく大きなカレイがビニール袋に入っている。

カレイが4~5枚手に入ったからおすそわけだという。

北海道では、とにかくいろんな物を戴く。 みなさん優しくて気前がいいのだ。


これは嬉しいことだが、困った。

「北の我が家」 には、菜っ切り庖丁とペティナイフしかない。

そこでお向かいさんに持って行った。 「包丁が無いから、お宅で食べて下さい」

そしたら、「刺身にして持って行ってあげよう。 今日はお酒が美味しいよ」

私一人では持て余すから半分わけだ。 それでも余る。


私の分け前のうち、半分は冷凍保存だ。

残り半分の1/3は刺身で食べた。 残り2/3は寿司めしを作って握り寿司にして食べた。

北海道では、PGの他に、こんな生活が始まっている。

だから、北海道の虜になる。