ヒロアキは「96Bar」の前にいた。ドアに貼られている一枚の白い紙を読む。それは<閉店のお知らせ>だった。“移転”なら、可能性がある。でも“閉店”となると話が違う。小さくため息をつき、店に背中を向けた。斜め向かいにある喫茶店が目に入る。今朝はまだ相葉が入れてくれたコーヒーしか飲んでいない。何の躊躇もなくヒロアキは喫茶店に入り、店員が案内した席に座る。
「モーニングセット」
「お飲み物は?」
「コーヒーを」
「モーニングセットのコーヒーで宜しいでしょうか?」
「はい」
ゆで卵と小皿に入ったサラダ、そしてトーストと一緒にコーヒが、ヒロアキが頼む前から出来上がっていたのか?と思うほどあっという間にテーブルに並べられ、店員がたずねる。
「以上で宜しいでしょうか?」
「はい」
ヒロアキがそういうと、テーブルの隅にある小さな筒の中にレシートが入れられた。彼が座っている席は道路に面した窓際だ。ちょうど先ほど立っていた96Barが斜め前に見える。行き交う人を眺めながらテーブルに置かれた食物を口へ運ぶ。食べている間は思考を停止した。いや、あえてそうした。そしてコーヒーを一口飲んで
「あいつの方が上手いな」とつぶやいた。
店のコーヒーより、相葉が入れるコーヒーの方が美味しかったのだ。そしてコーヒーを眺めながら鼻で笑った。一通り食事を済ませ、コーヒーのおかわりをもらった。
「さて・・・」
そう言って例のメモをポケットから取り出す。そして昨日の夜からの出来事を振り返る。知色にBar「4」で会い、行方不明になっている山下の話しをする。彼女は言った『そこへ行って自分の目で判断するのね。いい?それが“結果”なの。貴方がそれを理解して足を止めれば何も変わらない。でも、貴方が足を止めるのをやめないならその結果と同じになる』と。そう威圧され、このメモをもらった。アドバイスを求めると『不幸の産物は不幸でしかない』という。そして・・・今朝、盗聴器を見つけた。さらに言うなら昨夜、事務所の前にずっと止まっていた黒い車は、今もヒロアキの視界に入る位置にいる。明らかに尾行されている。
彼女がくれたメモの数字は電話番号ではないし、このメモ自体にも意味はないように思う。彼女の言葉が再び頭の中を駈け巡る。
『不幸の産物は不幸でしかない』
それがアドバイスだと彼女は言った。『そこへ行って自分の目で判断するのね』とも言った。つまり、彼女のいう“そこ”への案内がこのメモなのか、会話なのかに含まれているという事だ。だが、渡された住所はデタラメだ。つまり、住所ではない。キーワード、これも探してみたが見つかったのは<96Bar>と<クローバー>、そして<山形>だが、96Barは閉店し、クローバーなんて言葉は溢れている。山形県にしても情報が少なすぎて探しようがない。番号にしても同じだ、メモの内容をいくら番号化しようとしても行き当たるところがない。
「まてよ・・・」
そういって手帳を取り出して数字を書き始めた。
< 290328290471 >
[ ふ・こ・う(お)・((の))・さん・ぶつ・は・ふ・こ・う(お)・((で))・し・((か))・な・い ]それを変換すると・・・
2・9・0・(の)3・2・8・2・9・0・(で)・4・(か)・7・1 となる。
もしくは・・・“ぶつ”も変換しないとすると<29038290471> “ふこうのさんはふこうでしかない”である。
・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・
黒塗りの車の中でサングラスをかけた男が電話をかけている。
「96Barの前で突っ立てましたけど、今は近くの喫茶店です。何も掴んでないと思いますが」
別の男の声が受話器の向こうから聞こえてくる。
「分かった。もういい。たとえ“あそこ”にたどり着いたところで何もでないだろう」
「はい」
・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・
「まさかね・・・・」 ヒロアキはそう言って顔を上げ、窓の外を見る。黒塗りの車が消えている。理由は分からないが、尾行はとかれたようだ。家から出る時、自分の携帯から身に着けているもの全てにおいて盗聴器の有無を調べた。もちろん、愛車のミニも。つまり、ヒロアキの声を盗聴できる状況ではない。しかし・・・この喫茶店に誰かがすでに潜んでいるかもしれない。ヒロアキは店を出て愛車に乗り込む。しばらく目的もなく車を走らせ、誰もついてこないこと確かめた上で、車を止めて携帯を取り出す。番号を押すが、電話は繋がらない。
「ダメか」
気を取り直し、もう一つのパターンでかけてみる。
「はい、セイリンテンゲア病院です」