大島弓子の漫画にこんなセリフがありました。
「あなたのためにフェイシャル という言葉は いついかなるときもうつくしくない」
母親が子どもを「あなたのためなのよ!」とガーガー怒ってる画面に添えられた忘れられない台詞。
とにもかくにも、大島弓子は偉大です。いやそんな話じゃなくて。
母親の過干渉。憎んではいけない、感謝しつつ受け取らなくてはならない、という呪縛。
わたしも結婚するまでがんじがらめでした。そして、思い通りにならない自分への母からの愛憎に苦しみ、自分自身の心の置き所に苦しみ、精神科に何年も通った。そのころ、「母原病」という言葉が流行ってました。何度も自分に突き刺さり、でも自分を患者のように思うのは親不孝だと思ってもいました。
さて、その母も父も他界して、ひとの子の親となり、
わたしはただ、幸せな子に育てたいと思ったのでした。
のびのびと自己肯定ができて、何ものにも束縛されず誰の意志にも怯えず顔色も窺わず、人生は楽しいと心から思いながら自由に生きる子ども。
一男一女との関係は良好です。
親の自分が嫉妬したくなるぐらい、二人とも自由にのびのびとそれぞれの人生を謳歌している。と、思う。
こう考えてみると、厳しい親もそれなりに反面教師となって役には立ってくれたと思うんです。
そしてまた、反面教師にしよう、という決意がなければわたしも遺伝に負けて、干渉しまくり支配しまくりの、厳しいヒステリックな親になっていたかもしれないし。
つまり、苦しんだ日々も無駄にはならなかったのかもしれないと。
さて、ここからは長くなるけど、親となって妙だなーと思うこと。
例えばヤフー知恵袋で。たとえばお受験掲示板で。
ちょっと厳しめのママの集まる相談サイトは、たいてい相談者が悩みを打ち明けると返り討ちにあって、『そう育てたあなたが悪いんでしょ!』とがしがし逆に叱られがちなんです。
その中でもなぜかママたちがほっこりしてしまうのが、「中高校生の男の子がこんなにだらしない」とか「幼くて困る、反抗期で手に負えない」というネタ。
それこそ、「うちもうちも!」「男の子ってそんなもん。でもそこが可愛いのよね~」「放っておきましょう、成長期にはよくあること」と、いたって寛大なうえ、愛に満ちた「うちの息子はこんなにだらしなくて且つかわいい」自慢が始まるのです。
だけど、相談内容が同じ感じでしかし「女子中高校生」となると突然空気がとげとげに。
「女の子が今からそんなだらしなくてどうするの?」「お母さんが甘いと付け上がりますよ」「反抗期だなどと済ませていたらダメ!」「厳しく毅然とした態度をとらないと!」
この空気の違いは何なのだ。
同じ反抗期、同じだらしなさ、同じ扱いにくさについての相談なのに。
女親はなぜ男の子に甘く女の子に厳しいのだろう?
そして過剰に支配したがるんだろう?
そういや前から思ってたこと。
思春期の子どものいる母親が苦労の末に再婚すると、「子どもよりオトコを取った」「母より女でいたいとは、そんな女の子どもは可哀想」「子どもが一人前になるまでは母親でいてやればいいのに」とぐちぐち言われるけれど
男手ひとつで子供を育てて苦労した父親が再婚したとなると、「やっと幸せになれるんだ、よかったですね」「いい奥さんだといいですね」と、世間はほとんど責めない。
じゃあ子連れ同士の再婚はとなると、やはり同じ。
子どもが問題児になった場合、やはり
「年頃の子どもがいるのにがっついて再婚なんかするから」と、女親のほうが責められがちです。
何で母親は息子より娘に厳しいんだろう。
何で女性同士なのに分かり合おうとしないんだろう。
なんでことさら女性に罪があるように言い含めるんだろう。
この、女の身にとって悲しい風潮は、ほかならぬ女性が作り出しているともいえる。
特に、母親が。
自身が母となっても、そこが不可解なんです。