3時間ほどのフライトでアンマンに到着した。僕はいそいそとラウンジへ向かい、インターネットでイタリア国内の列車の予約を始めた。ミラノからローマまで、ヴェネチアとフィレンツェを経由する今回の休暇の移動手段はユーロスターである。イタリアの列車は座席指定で予約できる上、運賃もそれほど高くないため、使いやすい。本当なら出発前に予約を済ませてしまいたかったのだが、休暇前の仕事を片付けるのに追われ、つい後回しになってしまった。1等車を2人分、€180で予約し、一息つくことがきた。

アンマンのクイーンアリア国際空港にはそれほど目新しいものはなく、どことなく出遅れた未来のような雰囲気である。乗り換え便の出発まで時間があったため、ロビーのスターバックスでドリップコーヒーを注文するも、やたらと薄味で期待はずれであった。ちびちびと飲みながら出発時間まで2時間をつぶし、ようやくミラノ行きのヨルダン航空便に乗り込んだ。
ラウンジに腰を落ち着けると、言いようの無い安堵感につつまれる。

願わくば冷えたビールでもあればと思うが、空港といえどここではアルコールは厳禁。
機内に入れば晴れて自由の身、というわけにもゆかず、領空内は出さないというエアラインも多い。
今回僕が搭乗するロイヤル・ヨルダン航空は、本拠地であるアンマンまではアルコールのサービスは無い。そこから今回の目的地であるミラノに向かう便に乗るまで、楽しみはおあずけというわけだ。しばらくの辛抱と思いつつも、ついそわそわとしてしまう。

部屋に人はまばらで、家族連れが一組いるだけ。
ご多分にもれず母親は頭からつま先まで黒装束で身を固めており、髪型はおろか表情すら見ることはできない。
子供達はそんな母親の周りでじゃれあい、時に甘えるように身をよせ、ケラケラと屈託なく笑う。
当初は違和感があったこんな光景も、今やすっかり見慣れてしまった。
衛星放送やインターネットで情報が溢れる中で、彼女らはこの習慣をどう位置づけているのか、一度じっくりと話を聞いてみたいものだが、話しかけるだけで警察の厄介になるとあっては、まず叶わぬ相談である。

眠気覚ましのエスプレッソを飲み干した頃に、搭乗のアナウンスが聞こえた。
早朝の空港は、白い布を纏った巡礼者で溢れていた。

彼らはこの聖地を訪れることを、まさに”使命”として日々を生きている。
背負う者は様々なれど、ここに来れば皆一様に同じ服を着、同じように経典を読み耽る。

しかし貧しい生まれの信者であれば、この巡礼が一生に唯一度だけの機会となるのだろう。
大量の荷物の中には聖地の水を入れる為のポリタンクがあり、ここで得られる全てを持ち帰りたいという彼らの切な願いが感じられる。
果たして、この体験を糧とすれば、苦しい日常でも乗り越えてゆけるというのだろうか。

方やビジネスクラスで訪れる裕福な信者達も当然いて、それこそ神の恩恵を大いに感じているかもしれないが、同じ神を信仰しながらも、そこに厳然として存在する格差を、彼らはどう受け止めているのか。
残念ながら、僕には分からない。

いずれにしても、この時代に、”世界で唯一の場所”を頑なに守っている姿勢は見事だし、
巡礼を終え、すっきりとした顔で仕事に励むオフィスの現地スタッフを見ていると、
こちらの気持ちもしゃんとするのは事実だ。

手早くチェックインを済ませると、僕はラウンジへ向かった。