紫の花 | zappaはzappingがお好き

紫の花

高校を卒業してオッサン自動車(爆)に就職した私は、「音楽に関わる仕事がしたい」とう大雑把な夢を諦めきれずに、20歳で会社を辞めた。

まだ世間知らずで純情(死語)だった私はその後新聞広告の「旅行・BGMが好きな方」という求人広告を見て、ある会社に入った。

新聞の求人広告で職探しをしていた時代の話ですな(^_^;)フロム・エーもanも「きゃりーぱむぴゃむ」もない時代。

最後は人やないか!

しかもちゃんと言えてないし!

それにしても「旅行」はいいけど「BGMが好きな人」ってどんな求人広告やねん。
それ見て「音楽関係の仕事かも」と思った、上京したてのりんごのようなほっぺの自分、ピュアでしたね。

すいません。嘘をつきました。
「三丁目の夕日」のホリキタちゃん気取りでした。

まあそのいい加減な広告からも想像できるように、横浜の雑居ビルに事務所を構える「英会話の教材売り」の会社だったというオチつき。
2年は勤めましたけどね。

それはおいといて。

その後、ほんとの音楽業界で働く夢を捨てきれなかった自分、

身の程知らずというか怖いもの知らずというか、当時大好きだった二大アーティスト、
「オフコース」と「ユーミン」の事務所にアポなしで訪ねて行った。

「求人募集はないですか?」と。

当時、事務所の住所をどうやって調べたのかもう覚えていない。

確かユーミンの事務所もオフコースカンパニーも青山近辺だったと思う。

それにしても突然訪ねてきた「ファン丸出し」の自分に、両事務所ともそれは丁寧な対応をしてくれた。

人気絶頂のアーティストを抱える事務所なのに、と断られた失望感も忘れ感激したものだ。

しかし、丁重にお断りされても、がっかり感は消えない。

そのまま東京で遊んで、横浜の自宅に帰るか!なんて気晴らしも出来ないまま、すごすごと帰途についた。

渋谷駅まで地下鉄に乗り、東急東横線で横浜まで帰る途中。

ドア付近にぼんやり立っていた私の目に、沿線に咲く無数の紫の花が飛び込んできた。

その時、「いつか絶対にこの花を眺めながら、通ってやる!夢を諦めない!」と心に決めた。

憧れの音楽業界と沿線がどう結びついたのかは分からない。ただ、そう決心した。


その後、その日表参道の駅前で渡された「SOLD OUT」という会報の住所からキョー○ー東京という会社を知って、アルバイトとして採用され、
紫の花の咲く沿線の電車に乗って東京まで通うことになった。

そこから系列の横浜の会社に移り、その会社でユーミンもオフコースも仕事として関わった。

まわりまわってそのアーティスト達の現場に関わった、その時の感激は今も忘れない。


あの時の紫の花。今もなんという名前かも知らない。

あの時の渋谷駅のホームにもう電車が着くことはないんだな。


ありがとう渋谷駅!