自分もおなじ
先週、私は舞台の現場のお仕事をさせて頂いた。
倉本聰さん演出の「明日、悲別で」
新国立劇場

3日間の舞台(お芝居)だったが、当日券を売っていた私には、3日間のうちに一気に評判と関心が高まっていくのを肌で感じられた。
このようなコンサートや演劇の現場は、昔むかし働いていたイベンターの先輩で、いまは会社を経営しているその人に
「なんか仕事ないッスかあ~(軽い…)」とたまに頼んでやらせてもらっているものだ。
そのおかげで、たまに「プリンセス○ンコー」とか神宮花火なう、とか色々つぶやいては「なにやってんの?」と突っ込まれるハメになるわけですが…
今回の「悲別」は過去に「昨日、悲別で」というドラマのタイトルで記憶のある人もいると思う。
私は見ていなかったのだけれど、炭鉱の閉山についてのドラマだというのはぼんやり覚えている。
昨年から全国公演が始まった今回の「明日、悲別で」はそのベースとなるドラマに、原発問題をからめた脚本になっている。
新聞の倉本さんインタビューで読んだところ、この題材を扱うのはやはり大変(と一口では言えないが)だったが、東北の被災地で上演したところ、拍手喝采を受けやっと安堵したとのこと。
一体この谷に神様はいるのかよ! いるなら余っ程どうかしてるぜ!
何万人のふるさとをうばって、
――― 結局誰一人救うこともできずに、それでも本当に神様はいるのか!
このセリフで大拍手が巻き起こったという話。
さて最終日。
最後のアンケート回収を出口でお手伝いしていた私の前に、一人のご婦人が
「アンケートを書きたいのですが・・」と近寄ってこられた。
はい、ここに筆記用具が、と言いかけて顔を見ると目が真っ赤。
そして泣きはらした顔で
「私は双葉町から来たんです、だからもう涙が止まらなくて…」と言った。
私はとっさに言葉を失い、「まあ、そうだったんですか…」とだけしか言えなかった。
ロビーには倉本さんが出ていらしていて、関係者や役者、一般のお客様からも挨拶を受けるため
順番待ちのたいへんな行列が出来ていた。
アンケートを書いている間も気になり、書き終わって手渡されたそのご婦人に
「あちらで倉本先生とお話になれますよ、よろしかったら」と言葉をかけたところ、
「私はもうお話しできたのよ、ありがとう」と言って、もう一度
福島県の双葉町から舞台を観にこられたこと、
近々倉本先生の講演が福島であると聞いてとても嬉しいことなどを話してくれた。
そして「それを励みに頑張るわ」と立ち去るとき、
「どうぞお気をつけて…」しか言えない私の肩をぽんぽん、と軽く叩かれた。
その掌の温かさ、慈愛のこもった優しさに打たれた。
励ましたいのはこちらなのに、「あなたも頑張ってね」というような慈しみ。
その場が仕事場なので踏みとどまれたけれど、もう何とも言えない感情が押し寄せてきた。
被災地に激励に行って逆に励まされて帰ってきた、という人の話はよく聞くけれど、
自分のこの不甲斐なさはどうだろう。
気のきいた言葉ひとつもかけられなかった。
被災地はまだまだ復興にほど遠い。
二年も経ついま、みなそれに慣れてしまったのでは。
そう感じた時、はっとした。
お前もそうだ。自分もそうなんだ。
募金をして、それで満足していたんじゃないか。
支援物資を送って、安心していたんじゃないか。
自分もおなじ。
そう思った。
折しもFacebookでは福島の仮設に暮らす人の窮状を伝える記事が回ってきた。
ここから、また自分も始めればいい。
この舞台の仕事をさせてもらったことに感謝したい。
倉本聰さん演出の「明日、悲別で」
新国立劇場

3日間の舞台(お芝居)だったが、当日券を売っていた私には、3日間のうちに一気に評判と関心が高まっていくのを肌で感じられた。
このようなコンサートや演劇の現場は、昔むかし働いていたイベンターの先輩で、いまは会社を経営しているその人に
「なんか仕事ないッスかあ~(軽い…)」とたまに頼んでやらせてもらっているものだ。
そのおかげで、たまに「プリンセス○ンコー」とか神宮花火なう、とか色々つぶやいては「なにやってんの?」と突っ込まれるハメになるわけですが…
今回の「悲別」は過去に「昨日、悲別で」というドラマのタイトルで記憶のある人もいると思う。
私は見ていなかったのだけれど、炭鉱の閉山についてのドラマだというのはぼんやり覚えている。
昨年から全国公演が始まった今回の「明日、悲別で」はそのベースとなるドラマに、原発問題をからめた脚本になっている。
新聞の倉本さんインタビューで読んだところ、この題材を扱うのはやはり大変(と一口では言えないが)だったが、東北の被災地で上演したところ、拍手喝采を受けやっと安堵したとのこと。
一体この谷に神様はいるのかよ! いるなら余っ程どうかしてるぜ!
何万人のふるさとをうばって、
――― 結局誰一人救うこともできずに、それでも本当に神様はいるのか!
このセリフで大拍手が巻き起こったという話。
さて最終日。
最後のアンケート回収を出口でお手伝いしていた私の前に、一人のご婦人が
「アンケートを書きたいのですが・・」と近寄ってこられた。
はい、ここに筆記用具が、と言いかけて顔を見ると目が真っ赤。
そして泣きはらした顔で
「私は双葉町から来たんです、だからもう涙が止まらなくて…」と言った。
私はとっさに言葉を失い、「まあ、そうだったんですか…」とだけしか言えなかった。
ロビーには倉本さんが出ていらしていて、関係者や役者、一般のお客様からも挨拶を受けるため
順番待ちのたいへんな行列が出来ていた。
アンケートを書いている間も気になり、書き終わって手渡されたそのご婦人に
「あちらで倉本先生とお話になれますよ、よろしかったら」と言葉をかけたところ、
「私はもうお話しできたのよ、ありがとう」と言って、もう一度
福島県の双葉町から舞台を観にこられたこと、
近々倉本先生の講演が福島であると聞いてとても嬉しいことなどを話してくれた。
そして「それを励みに頑張るわ」と立ち去るとき、
「どうぞお気をつけて…」しか言えない私の肩をぽんぽん、と軽く叩かれた。
その掌の温かさ、慈愛のこもった優しさに打たれた。
励ましたいのはこちらなのに、「あなたも頑張ってね」というような慈しみ。
その場が仕事場なので踏みとどまれたけれど、もう何とも言えない感情が押し寄せてきた。
被災地に激励に行って逆に励まされて帰ってきた、という人の話はよく聞くけれど、
自分のこの不甲斐なさはどうだろう。
気のきいた言葉ひとつもかけられなかった。
被災地はまだまだ復興にほど遠い。
二年も経ついま、みなそれに慣れてしまったのでは。
そう感じた時、はっとした。
お前もそうだ。自分もそうなんだ。
募金をして、それで満足していたんじゃないか。
支援物資を送って、安心していたんじゃないか。
自分もおなじ。
そう思った。
折しもFacebookでは福島の仮設に暮らす人の窮状を伝える記事が回ってきた。
ここから、また自分も始めればいい。
この舞台の仕事をさせてもらったことに感謝したい。