ボロブドゥール②ボロブドゥール遺跡観光 | Zappa's Cafe

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ひとやすみ~♪ ひとやすみ♪

2023年11月

 

ボロブドゥール②

ついにボロブドゥール遺跡観光

 パンデミック中、遺跡保護の観点から入場禁止になり、少し落ち着いてからは、

専門ガイドによる予約制団体見学(修学旅行?)だけ行われているとの事でした

 以前はイスラム圏内の仏教遺跡の為か、テーマパークとして人は沢山来るけど

ひどい扱いだったから仕方ない・・と思っていましたが、

一般観光客も期間限定で専用サンダルに履き替えガイドツアーで内部に入れるようになり、

それが12月まで延長になっていたので見られることにスター

 ガイド沢山育成して保護しながら見学続けられる体制ができるといい星

 

ジャワ島中部 大乗仏教の石造建築物(世界最大の仏教遺跡)
インドネシアの祖先崇拝の伝統と仏教の概念を融合させたジャワ仏教建築


8~9世紀に約50年の歳月をかけて建造され、1000年以上、密林の中に埋もれていたのを
1814年伝説を信じたトーマス・ラッフルズ(英から赴任)らが発見


未だ解明されていない謎が多く、この巨大建築物が何だったかは不明
寺院、王朝の廟、僧房、王の墓、古代インド形式の霊域など諸説あるらしい

 

残された碑文で分かっている事は
ダルマトゥンガ王(仏教)はサンジャヤ王家(ヒンドゥー)のパナンカラン王に対し
多羅菩薩を祀る寺院とシャイレンドラ王家を祀る仏僧のための僧院を建造するよう提案し

パナンカラン王が寄進
780年造営開始792年本体工事完了
824年サマラトゥンガ王(仏教)が工事再開、832年王が死没し、833年工事終了


遺跡の三層構造については、「仏教の三界」をあらわす解釈が有力

 

「ボロ・ブドゥール」は地名でも遺跡の名前でもなく、サンスクリット語の「僧房の丘」の意味
最近元の名が分かって

「ブーミ・サンバーラ・ブダーラ」(”美徳の山”の意味)といわれてるそう

 ※ガイドさんが教えて下さった名前、とても覚えられず汗

 帰国後どこにも書いていないと思ってたら英語版ウィキペディアにありました

 

サンダルのサイズ(日本のサイズ対応表無し)が分からなかったけど

空いていたので履いて確認、履いてきた靴は不織布のショルダーバッグへ

*サンダルなどはお土産

 

01番のグループでスタート

 

 

最初は遺跡がすごく遠い

最初に各プレートの前で30分、しっかり博物館の学芸員さんみたいに説明して下さり

 

 

徐々に近づいて行きます

(遺跡にグループが入る時間や順番、滞在時間が決まっているそう)

 

色々興味深い説明を聞いていると、気付けば、なぜか後ろのグループがどんどん先へ

説明の内容(再訪者用?)や量が全然違うかもあせる

 

後でガイドさんの説明が良かった、と話すと

ドライバーさんが「バンバンさんね」(何度聞いてもそう聞こえる)と

 

 

階段の上に遺跡の入口が

 

下から上へ時計回りに登っていくと、俗界から悟りへ向かう物語を見られるらしい

第1回廊(煩悩の世界)は、

上段が仏陀の生涯で、下段は仏教説話

 

 

 

Mr.バンバンの英語はアナウンサーや教材のみたいにすごく聞き取りやすい

彫られたモチーフも見慣れてるし、仏教徒の多い日本で育った私には昔話などで

なじんでた内容なのか意外と英語で大丈夫

(他の国の宮殿や遺跡では、~年と人の名前しか聞き取れない事多々ありあせる

 

私には当たり前の事でも、欧米の方の反応はすごく大きく

「仏教の考え方ではこうで~」とMr.バンバンが丁寧に解説

 

 

遺跡の構造

排水の改良工事など・・維持する工夫

彫刻の内容・・

暑さと難しさに私たちが負けないように、度々ユーモアも交えて解説して下さるMr.バンバン

 

  

肩から上の無い仏像が多くて胸が痛むから、ちゃんとあると本当にホッとする

 

元々仏像は、回廊のくぼみとストゥーパ72基に504体あったらしい
《300体以上損傷(ほとんどが頭部なし)、43体行方不明》

イスラム過激派の襲撃で破壊されただけでなく、

発見以降、仏像の頭部等は外国に渡されたり、個人収集家の略奪に遭って持ち出され

外国の博物館(英・蘭・仏・タイなど、独は返還)に展示されていたりするらしい

 

 

 

<ストゥーパの鐘状部分>
一辺23cmの石のブロックを漆喰などを使わずに積み上げたみたい

 

 

格子状になってる鐘の中をのぞくと仏像が安置

 

 

人が集まっていて何かな?と思ったら、僧侶の方々がお経をあげていらっしゃった

私も後ろで旅の安全をお祈り

 

 

 

ボロブドゥールでは”ハティハティブランブラン”で修復されていると伺い、感動

(たしか、”ゆっくりゆっくり、慎重に”の意味)

 *ツアーでアンコールワット訪問時

  実は、緻密だけど膨大な時間のかかる日本の大学などの修復作業より

  素人が見てもビックリの雑さだけど速く完成する中国の修復作業の方が

  地元に歓迎されていると聞き、ショックを受けました

 

一番上でいったん解散して、再集合

(”仏様が仰向けに寝ている姿”の見える方角の上り口だったかな

 どこにいるか・・目印が必要、山ばかりの方向と広場が見える方角は一目瞭然)

私達が写真を撮ったり自由に見学している間も、

一人ガイドさんに質問している熱心な方がいらっしゃった

その後集合場所に戻ると・・大質問タイムに

 

何にそんなに興味を持たれたのか気にはなるけど・・

言葉の問題より、いい加減な仏教徒で恥ずかしいから、私は日射しを避けて休憩

暑くなり、日焼け防止に着ていた上着を脱いで水飲んで、扇子で仰いで、汗拭いてあせる

欧米の人は露出が多いけど白いのになんで肌が強いんだろう?

でも雨季に入った事もあって?アンコールワットの地獄の暑さ(9月)よりは、かなりマシ

 

 

最後

一度では説明しきれないから、また来るように、と

「どっちから見ても同じ形だし、

 出たらこの方角から写真を撮ると逆光じゃなくて良いよ。」という観光的ガイドを聞いて

遺跡から降りました

 

スタート時には曇りで涼しく、遺跡に登ってからは陽が出て暑かったけど

きれいに写真が撮れました

私達が遺跡から出る時に登り始めるグループは、日傘をさしている人が多かったです

 

 

で、写真撮って遺跡出口へと歩いたら(方角見失ってて)

あれー?と思っているうちに上り口(降り口)へ戻ってきちゃった

そういえば写真撮っている時に同じ人が何度も歩いてたの

出口探してたのね(遺跡から遺跡公園内への出口)

 


 

持ってきたペットボトルは飲み干しあせる

暑いので新たに園内で1本冷たいのを買って早めに出口へ

しかしボロブドゥール遺跡公園出口は、「exit」看板から、すごーく遠かった注意

関門(テリトリー?)突入するごとに、襲来する物売り軍団・・延々続く土産物屋ロード

 

(パンデミック前の「なかなか出られず集合時間に遅れた」という口コミは見てたけど)

想像以上に狭くて、長くて、気味が悪くて、しつこい

パンデミック後は密にならない様になってるんじゃ・・という期待は甘かった

屋根のある所は薄暗く、一人しか通れない幅、店先に座る店員が手を伸ばせば届く距離

土産物店関係者がゆーっくり歩けばその後ろを付いて歩くしかなくそこへ追いかけてくる物売り

雨が降って先頭が立ち止まれば身動き取れなくなると思うとゾッとするガーン

”洗練されたガイド”と”気味の悪い出口”の落差に、ビックリ&ガッカリ

二度と一人では行きたくない

外国人料金と専用入場ゲートがあるんだから、

出口も外国人専用ゲート(ミュージアムショップを通り抜ける程度)がほしい

度が過ぎてるわ

 

いつか家族でゆっくり来て、ボロブドゥールで遺跡の外もゆっくり散策したり

セログリヨ寺院と周辺の棚田とかへも足延ばしたいと考えていましたが・・

遺跡内部に入れず外から眺めるだけで、うっとおしい出口を通らなきゃいけないなら

内部観光できない時にボロブドゥールへは行かない