家系ラーメン二連戦と干し芋大量仕入れ 茨城3日間のんびり旅
よく食べた三日間だった。けれど、ただの食い倒れ旅ではなかった気もしている。宇宙を見上げ、滝の音に耳を澄まし、サメの祖先の顎に立ち尽くし、濃厚な豚骨スープをすすり、干し芋をかじる。振り返ってみると、どれも「命の時間」に触れていた。派手ではない。けれど、じんわりと身体の奥に残る旅だった。家系ラーメンから始まる、命の話王道家との丸家旅のスタートは、つくばの王道家。そして二日目の夜は、石岡のとの丸家。まさかの家系二連戦である。濃厚な豚骨醤油スープ。海苔、ほうれん草、分厚いチャーシュー。湯気の向こうに立ちのぼる、あの動物性の香り。二杯目をすすりながら、ふと頭をよぎった。「命をいただく」という言葉。豚骨スープは、文字どおり骨から抽出される。チャーシューは、誰かが育てた豚の肉だ。重く受け止めすぎると箸が止まる。でも、軽く流してしまうのも違う気がする。せめて一度だけ、心の中で小さく「ありがとう」と言う。それくらいが、ちょうどいい距離なのかもしれない。宇宙の時間と、滝の時間JAXA筑波宇宙センターロケットの模型を見上げながら思う。宇宙の時間は、人間の感覚からはみ出している。何億年という単位で星が生まれ、消える。私たちの一生は、瞬きみたいなものだ。翌日、向かったのは──袋田の滝水音を聞いていると、時間のスケールが少しだけ広がる。岩を削り続ける水。今日も、昨日と同じように落ち続ける水。宇宙ほど遠くはない。けれど人間の都合とは無関係に流れ続ける時間が、そこにはある。自分の悩みや焦りが、少しだけ小さくなる。滝の前では、たいていのことが「まあ、いいか」と思えてくる。進化の顎の前で立ち止まるアクアワールド茨城県大洗水族館大洗の水族館は、サメの展示がすごい。そして、あの巨大なメガロドンの顎。思わず足が止まった。かつて海を支配していた存在。何百万年も前の頂点捕食者。いまは化石になって、ガラス越しに見上げられている。進化とは、強さの話ではなく、続いたかどうかの話なのかもしれない。命は、残るものと消えるものに分かれていく。その海から、しらすをいただき、タコを串でかじる。かあちゃんの店海の命は、いまも続いている。私たちの食卓に、形を変えて。保存と発酵という、人間の知恵干し芋を大量に買い込む。袋がずしりと重い。とくに紅はるかは、甘さがやわらかい。車の中で我慢できず、ひとつ開ける。乾燥という保存の知恵。時間を味方にする方法。三日目は──偕楽園道の駅かさま偕楽園を歩き、常陸牛のハンバーグを味わい、道の駅で水戸納豆を手に取る。発酵という文化もまた、命のリレーだ。菌が働き、時間が味を変える。奪うだけではなく、つなぐ。受け取るだけでなく、活かす。人間は、そうやって食べてきたのだろう。茨城は、滋味深い宇宙。滝。進化。海。畜産。保存。発酵。全部、命の循環。観光地として派手な印象はないかもしれない。けれど、静かに、確実に、命の時間が流れている土地だと思う。そして家系二連戦。あの濃さもまた、生き物のエネルギーそのものだった。干し芋をかじりながら、そんなことを思い出す。全体の余韻何かを食べるということは、何かの命を受け取るということ。それは特別な思想でも、重たい覚悟でもない。ただ、ほんの一瞬の意識の置きどころ。「いただきます」と言う前の、あの静かな間。茨城の三日間は、その間を少しだけ長くしてくれた気がする。あなたが最近、口にしたものは、どこから来て、どんな時間を経てきたのでしょう。次に「いただきます」と言うとき、ほんの一秒だけ、想像してみてもいいのかもしれません。