このところ、貞観(じょうがん)の大地震(869年)が話題に上っている。

M8・3の地震で、東北沿岸部は津波により、かなり内陸部まで被害を受けたとされる。

研究者は、その津波の被害とプレート変動の周期性などから、再び同様な地震が近年起きることを、この4月に発表する予定であったという。


「もう少し早く警告していれば・・・」、と研究者は肩を落としている。


しかし、人は勝手なもので、その発表があったとしても、地震が実際に発生するのには、200~300年の時差があるとみこんで、それほど真剣にはならなかったと思う。

福島第一原発の場合、起こり得ると想定していた津波の高さをはるかに超えた津波が襲ったわけだから、津波対応は万全だと思っていたわけだ。

たとえ研究者が警告したとしても、「津波対策はぬかりない」、で済まされていたことだろう。


だから原発は怖い。


今回の事故を教訓に、更に安全な原発開発を進めることを、原発推進派は考えている。

けれど、そんなこと可能なのだろうか?



風とコタロウ



ここ数日、計画停電の実施が見送られてる。

各自の節電意識が、電力消費量を抑えているのかもしれない。


いつの間にか、電気を使え使えと後押しされて、その背景には原発が盛んに稼働していたことなど忘れていた。


私たちは、電気の無い暗い夜空の星の美しさや、ロウソクの火とともに家族で過ごす楽しみを、もう一度気づいても良いのではないか。


1000年に一度とされる震災に見舞われてしまった日本。

私たちは、その時代に生まれ、生き抜くことを課せられている。


本当は何が大切で、何を後世に残すべきなのか、それを選択する任務を与えられてるのだと思う。

この時代に生きている日本人は、日本民族生き残りのための大きなミッションを与えられているのかもしれない。


それだけ今は、日本の歴史の転換期にいると感じている。





このところ、なんとなく気持ちが晴れない。

今朝の新聞に、東日本でも被災地以外の地域の人々のストレスがたまっていることが出ていた。

余震や原発の恐怖、計画停電、品不足。

被災地の人に比べたらと思うから、誰もがじっと我慢しこらえているから余計に、ストレスがたまっているのだと言う。

専門家の先生は、我慢しないで感情を外に出した方が良いと書いていた。

「誰だって、この状態ではおかしくなるんですよ」。


その記事を見て、少しほっとした。

私だけじゃなかったんだ。


買いものでもして、パーっと気を晴らそうかと外に出ると、時々立ち寄る民芸調の食器を扱う店で、朱漆のお椀が目についた。

そのお店は、本当に民芸の精神にのっとっているようなお店で、デパートで売られているような高級なものは置いてないけれど、日本製品ばかりなのにお手頃価格。

朱漆のお椀をずっと欲しかったけれど、高いからなかなか手が出なかった。

岐阜産だというそのお椀は、輪島や会津など産地ブランドでない分、すぐに手の出る価格だった。

九州産の吹きガラスも一緒に購入した。



風とコタロウ



早速天ぷらそばをつくって、そのお椀とグラスの使い始めをした。


これからも、Made in Japanを応援していきます。



東北沿岸部地震発生、そして原発の恐怖。

これらの日々を、訳な分からない母と過ごすことは、なかなかどうしてしんどい。

でも母は、ことの重大さが分かってない分平穏で、私が優しく接している以上は、優しい顔をして過ごしている。


つくづく、常に優しく穏やかに接することができれば、母も安心していられるのだろうことを感じる。

でも、なかなかそうはいかないのが、介護する者の悩み。

私自身のテンションをかなり下げなければ、母と過ごすことは難しい。

そうなると、自分の仕事は手につかなくなるし、深くものごとが考えられなくなる。


この非常事態はいつまで続くのだろう。


空気はおろか水道水も汚染され、ますます健康に過ごせる地ではなくなっていく。

日に日に異常事態に鈍感になり、水道水に検出される放射性ヨウ素の値でさえ、日々上がっていくことに驚かなくなる。


いったいぜんたい東日本は、どうなってしまうのか。



風とコタロウ


本日の計画停電は夕刻6時20分から8時まで。

予定より早く終わったのは救いだった。


何もすることが無く、母と二人ラジオの音楽に耳を傾けていた。


コタロウは、隅の方で多分寝ていたのだろう。


明朝も真冬並みの寒さらしい。

先日灯油が買えたので、とりあえずは安心だ。


こんな状況、ここ日本で経験することになろうとは・・・。

本当に何があるのか分からないのが人生のようだ。


被災した方々に、一日でも早く暖かな場所と安心して暮らせるスペースが与えられますことを祈って・・・。