任侠映画がお嫌いな公園-7『戦争と拳銃とやくざ映画と』


前回の記事に

1991年、毎日新聞連載の『そよ風ときにはつむじ風』で「日本文芸大賞」を受賞

とある。


ちょうどこの頃、私は仕事の必要があって毎日新聞と英字新聞の毎日ウィークリーをとっていた。毎日新聞の朝夕の経済面をチェックし、週に1度配達される毎日ウィークリーで同じ内容の記事を探し、最新の経済用語termを仕入れて蓄積する。


池部良さんの連載エッセーも愛読していた。衒いのない落ち着いた文体。書かれていることにほどよい影がある。人生の光と影をよく知っている人の文体だ。


このころ池部さんがテレビの『徹子の部屋』に出た。若い頃の話から自然に話題は戦争で南方に行った話になる。池部さんは少尉で任官して終戦のときには中尉になっていた。将校だから当然、腰にはサーベルを下げ拳銃を吊るしている。


司会の黒柳徹子さんが「じゃぁ拳銃も撃ったことおありになるの?」と聞くと「そりゃありますよ」と池部さんは答えた。そこで一瞬の間があって、黒柳さんは別の話題に移っていった。「人を撃ったことはおありになるの?』とは聞けなかったろう。


戦争を生きることは映画の中で役を演じることとは違う。2人の間に一瞬生まれた沈黙の中に歴史が重く沈んでいる。いまこれを書いている私の目の奥で池部さんと風間重吉のイメージが重なる。


奥様は池部さんがやくざ映画に出るのを嫌っていたという。池部さん自身も喜んでやっていた仕事ではなかったようだ。だからといって池部さんが仕事を忽せにすることはなかった。


昭和残侠伝シリーズ。高倉健さんと池部さんの死の道行。映画のクライマックスだ。映画を見た方ならご存じのとおり、このとき着流し姿の風間重吉の懐には拳銃が忍ばせてある。このシーンには日本の重い歴史、池部さんが身をもって経験した戦争の記憶がこめられていたにちがいないと私は思う。[続く]


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