(7)

3人ひろしというのは、水原ひろし、守屋浩、井上ひろし。1959年から60年頃にかけて、ちょうどプレスリーが兵役で引っ張られてドイツにいた頃。相次いでロカビリーから歌謡曲に転進し、大ヒットを飛ばして一世を風靡した。

その先鞭をつけたのは自分で作詩作曲した『星はなんでも知っている』で大ヒットを飛ばした平尾昌晃 さんですね。



空前のブームでロカビリー歌手が増えすぎてカバー曲の奪い合いになった。楽屋でケンカ沙汰になる。しかたなく自作の曲をやったら大ヒットした。当時を振り返って平尾昌晃さんはそう言ってました。プレスリー不在の余波だ。

3人ひろしも皆ロカビリー出身です。守屋浩は浜口庫之助の『僕は泣いちっち」。水原弘は永六輔作詩、中村八大作曲の『黒い花びら』で鮮烈なデビューを飾り、井上ひろしはリバイバル曲の『雨に咲く花』をヒットさせた。リバイバル・ブームが起こって佐川ミツオも『無情の夢』でロカビリーから歌謡曲に転進する。

当時は3人ひろしと言えば飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

それがですよ。同じ“ひろし”でもかまやつアニキだけは置き去り。「みんな売れたのにオレひとり蚊帳の外でした。かまやつひろしです」そんな具合だった。

そういうわけで、当時の僕らにとってみれば、かまやつひろしがエレキギターを手にして現われたのはゾンビが復活して人を襲ったようなモン、あっ、襲ってないか。まっ、そんな衝撃だった。
[続く]