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2004年5月7日(すでに事件から1年3カ月)

弁護団が公開に踏み切った検死報告書によれば、ラナ・クラークソンの両手には硝煙反応があった。そして銃撃の瞬間、拳銃は彼女の口の中にあったと認められる。ということは、クラークソンは自分で自分を撃った可能性がある。

この検死報告書はラナ・クラークソンの死から4日後に作成されたものだが、検察によって秘密にされてきた。

AP通信によれば、この検死報告書の公開を検察側が拒んだため、スペクターの弁護団はメディアへの公開に踏み切ったのだという。

ただし、この検死報告書は最終的に、スペクターがクラークソンを殺したと結論づけている。地方検事局のスポークスマンはAP通信に対し、「問題の銃がクラークソンの口の中にあったことを検察側も認めている。だからと言って、彼女が銃を自分で 自分の口の中に入れたとは限らない」と語った。

検察側は言明する。「我々は検死報告書の中身を完全に理解しており、粛々と審理に応じていくつもりである」

この日、検察側のスポークスマンはスペクターの両手にも硝煙反応があったことを明らかにした。2004年5月7日(すでに事件から1年3カ月)



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ラナ・クラークソン
彼女は自分を撃ったのか?




分析によれば、銃撃の痕跡を示す粒子が被害者の両手にはっきりと残っていた。 従って、ラナ・クラークソン自身が銃を発射したか、さもなければ、銃撃の跡が残りやすい位置に自分の両手を置いていたことになる。




事件直後の検死報告書にはそう書かれていた。

これはスペクターの屋敷で遺体で見つかったラナ・クラークソン自身が銃を撃った可能性を示唆するとも読める。

逮捕された夜、フィル・スペクターは硝煙反応試験をされているが、その結果が記載された報告書の公表を弁護側は拒否している。

銃の外側と弾倉の内側についていた血液のDNA試験は、その血液がラナ・クラークソンのものであることを示した。

拳銃は床の上、クラークソンの足首の近くにあったが、スペクターはその銃を拭いてからそこに置いたと検察側は見ているようだ。

最終的に、捜査報告書に基づいて検死官は次のように結論した:

拳銃が発射された時、その銃を持っていたのはクラークソンと一緒にいた男だ。


分厚いファイルになっている検死報告書によれば、クラークソンの体内からはアルコールとヴァイコディン(鎮痛咳止め剤。ごく一般的な処方薬だ)が検出された。クラークソンの遺体は椅子に崩れ落ちている姿で発見されたという。



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事件後すぐに逮捕されたスペクターだが、正式起訴は9カ月後の2003年11月。今後の公判の日程を決める法廷が開かれるのは今週金曜日の午後(2004年5月の1週目)の予定だ。

検死報告書によれば、事件に使用された問題の拳銃は38口径のリボルバー。弾装には6発の銃弾がこめられていて、うち1発だけが空だった。従って発射されたのは1発の銃弾だけだったということになる。

検察側はこの検死結果に異議は唱えていないが、ラナ・クラークソン自身が銃の引き金をひいたという弁護側の主張に直面することはあらかじめ予想されたはずだ。

報告書の図面には、クラークソンの右の親指に割れたアクリル製の爪があった。これはクラークソンが銃を撃ったからだ。弁護側はそう主張することが予想される。

銃弾が発射されると半径3フィート以内に微粒子を伴った硝煙反応が残る。地方検事局のスポークスマンは語る。「銃撃の瞬間、ラナ・クラークソンの両手は重なる状態にあったと思われるが、硝煙反応は両手から検出された。スペクターの両手にも硝煙反応があった。彼の両手には血もついていた」とスポークスマン。