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O.J.シンプソン アメフト界の大スターでハリウッドにも進出。
妻とその友人の殺害容疑で逮捕されたが裁判で無罪になった。




事件の前夜、ダン・タナ・クラブで食事したあと、スペクターはサンセット・ストリップの高級ナイトクラブ、ハウス・オブ・ブルースを訪れた。ラナ・クラークソンはこの店のVIPラウンジ、ファウンデーション・ルームのホステスとして働いていた。

彼女の仕事が終わったのが日付の変わった午前2時。2人はスペクターのお抱え運転手が運転する黒の新車のベンツに乗って店から消えた。事件当初は2人はこの夜が初対面だったと報道されていたが、彼らの関係は数カ月前から始まっていたという報道も ある。

スペクターの隣人とお抱え運転手は屋敷の中から銃声が鳴り響くのを聞いて警察に電話した。ロサンゼルス郊外1926のスペクターの屋敷はピレニー城を模して作 られた邸宅で、1998年に110万ドルで買い上げられた。

ロサンゼルス・タイムズによれば、スペクターは逮捕に抵抗したが拘束され、後で病院に送られたという。彼は警察の尋問に答えるのを拒否。弁護人として雇われたロバート・シャピロもメディアの一切の質問に答えていない。シャピロは O.J.シンプソンの弁護団の一員だった。

スペクターはまだ公式には訴追されていないが、3月3日の罪状認否には出頭するはずだ。彼はすでに保釈金を出しているため、地方検事局は48時間以内に立件する義務はない。セレブの殺人事件ということでメディアの関心が高いこと。シンプソン事件で苦杯を舐めさせられた経験から、警察は事件を慎重に処理。入念な証拠集めで公判に臨む腹を固めているようだ。

今のところラナ・クラークソンの検死結果は公表されていない。殺人事件の時に通常実施される毒物検査が進行中だ。警察はスペクターの自家用車と屋敷内で見つかった複数の銃を押収している。





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ラモーンズ





ジョン・レノンとスペクターの間には銃にまつわるエピソードがある。

ロサンゼルスでレコーディングしている最中、スペクターがふざけてジョン・レノンの頭ごしに発砲した。レノンはスペクターの悪ふざけにうんざりしながら、「俺を殺したいなら殺せ。でも、ふざけて俺の耳をおかしくするのは止めろ。俺には耳がなきゃどうしようもないんだ」と言ったという。

これが単なる悪ふざけだったのかどうか、その後のスペクターの行状を見ると怪しくなる。

1980年、ラモーンズがフィル・スペクターにプロデュースを依頼する。伝説のプロデューサーの力を借りてミリオンセラーを狙おうという思惑だったろう。このときスペクターがスタジオで出した注文は容赦のないもので、ラモーンズのメンバーも耐えきれずに何度もスタジオを飛び出したらしい。

このレコーディングの時に、スペクターがディー・ディー・ラモーンに向けて銃を抜いた。ヘロインのオーバードープで死んだ初代ベーシストのディー・ディーは在籍時代からドラッグ癖があった。リーダーのジョニーとも対立していた。スペクターとの間にもなにかと対立があったことは想像にかたくない。

ディー・ディーを服従させるためにスペクターは銃を使った。

カナダのシンガー・ソング・ライター、レナード・コーエンのアルバムをプロデュースしたときは、『スタジオの中は最初から銃の雰囲気だった』とコーエンは語っている。

詩人でインテリのコーエンに言うことを聞かせるために、スペクターは最初から銃をチラつかせたというわけだ。

こんなエピソードを見ると、ジョン・レノンの頭越しに発砲したのも単なる悪ふざけとは思えなくなる。それでもヨーコ・オノは彼のために証言台に立ってもいいと言っている。普段のスペクターは才能だけではなくそれなりの魅力もある人物なのだろう。