「私は貝になりたい」 1959年 日本
監督 橋本忍
出演 フランキー堺 新珠三千代 水野久美
笠智衆 中丸忠雄 藤田進
加東大介 南原伸二
ストーリー
清水豊松は高知の漁港町で理髪店を開業していた。
家族は女房の房江と一人息子の健一である。
戦争が激しさを加え、赤紙が豊松にも来た。
ある日、撃墜されたB29の搭乗員が大北山山中にパラシュートで降下した。
「搭乗員を逮捕、適当に処分せよ」と矢野軍司令官の命令が尾上大隊に伝達され、豊松の属する日高中隊が行動を開始した。
発見された米兵は一名が死亡、二名も虫の息だった。
日高大尉は処分を足立小隊長に命令、さらに命令は木村軍曹の率いる立石上等兵に伝えられた。
立石が選び出したのは豊松と滝田の二名だ。
立木に縛られた米兵に向って、豊松は歯をくいしばりながら突進した。
戦争が終って、豊松は再び家族と一緒に平和な生活に戻った。
それも束の間、大北山事件の戦犯として豊松は逮捕された。
横浜軍事法廷の裁判では、命令書なしで口から口へ伝達される日本軍隊の命令方式が納得されなかった。
豊松は、右の腕を突き刺したにすぎない、自分は裁判を受けるのさえおかしいと抗議したが、絞首刑の判決を受けた。
矢野中将が、罪は司令官だった自分ひとりにある旨の嘆願書を出して処刑されてから一年の間、巣鴨プリズンでは誰も処刑されなかった。
死刑囚たちは、やがて結ばれる講和条約によって釈放されるものと信じた。
ある朝、豊松は突然絞首刑執行の宣告を受けた。
豊松は唇をかみしめながら、「どうしても生れ変らねばならないのなら、私は貝になりたい」という遺書を残して一歩一歩十三階段を昇った。
寸評
前年にテレビ放映されて評判を呼んだドラマの映画化である。
テレビ版の「私は貝になりたい」はテレビドラマの歴史が語られる時には「岸辺のアルバム」などと共に必ず取り上げられる記念碑的作品である。
本作を見た第一印象は、橋本忍は優れた脚本家であったが優れた監督ではなかったということだった。
僕はこの作品を随分経ってから見たのだが、たぶん僕には年数を経てもテレビ版に強烈なイメージの残像が残っていたのだろうと思われる。
収監された戦争犯罪人としてA級戦犯の他にB級、C級の戦犯もいた。
A級戦犯は平和に対する罪を訴追されたもので東條英機などが該当する。
B級は通例の戦争犯罪で、交戦法違反行為を行ったものが訴追されといる。
C級は人道に対する罪で、奴隷化、捕虜の虐待などが含まれている。
区別は量刑を表すものではなく罪の根拠となった行為の分類であるのだが、清水豊松はそれらからすればC級として訴追されたことになる。
B、C級でも1000名くらいが死刑になったとのことであるが、戦勝国が敗戦国を裁くというのはどうなのだろう。
理髪店を営み、町の人から慕われていた豊松が召集令状を受け取る。
幸せな家庭生活を営んでいたものが突如召集されて戦地へ赴くのは何度も描かれてきたものだ。
ひどい空襲を受け続けている日本に米軍パイロットが撃墜されてパラシュートで降り、1名は死亡、2名も助かる見込みがない状態で日本軍に発見される。
そこで描かれることがこの映画の持つ特別な状況である。
豊松が士気高揚のために捕虜を銃剣で突き刺すように命令される。
非人道的なことが出来ない豊松は、一度はためらい叱責されるが、再度の命令により突撃する。
それでも胸を刺すことが出来ず腕を刺すにとどまってしまい、上官からひどい折檻を受けることになった。
豊松は、戦後になってその行為が死刑に相当すると言われたのだ。
日本軍では上官の命令は絶対で、逆らえば自分が銃殺されると言っても、米国人にはその理屈が通じない。
豊松は二等兵という一番下の階級で、上官の命令に従ったばかりに死刑の宣告を受けている。
庶民が戦争犯罪に巻き込まれる戦争の非道さを描いているが、その訴えは手ぬるく感じる。
今度生まれ変われるならば、こんなひどい目に合わされる人間にはなりたくない。
人間にいじめられるから牛や馬にも生まれない。
どうしても生まれ変わらなければならないのなら貝になりたい。
貝ならば海の深い底の岩にへばりついて何の心配もない。
兵隊にとられることもないし戦争もない。
妻や子供を心配することもない。
どうしても生まれ変わらなければならないのなら、私は貝になりたい。
そのようにつぶやいて清水豊松は絞首台に登る。
理不尽な物語であるが、戦争が引き起こした理不尽な出来事としては何か物足りないものを感じた。









