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記憶の欠片(ピース)

病気がちで、甲斐性のないおっさんのブログ。
小説・ショートショートを書いていましたが、気力が失せたため、思い付きでいろんなことを書いています。

ガシャン、という音がして車が2台道路上に停止した。

雨は、事故の数分後に降り出した。

 

午後3時42分。平日の市道。小雨がアスファルトに点を描きはじめた頃には、すでに警察と救急隊が現場に集まっていた。

 

事故は、対向車線を走っていた小型セダンが、反対車線に数十センチはみ出した状態で、直進してきた軽自動車と正面衝突したというものだった。軽自動車を運転していたのは30代の女性、三浦遥。助手席には、保育園に通う5歳の娘が座っていた。幸い娘は軽傷で済んだが、セダンを運転していた男性、田崎秀一は、衝突の衝撃で胸部を強打し、搬送先の病院で死亡した。

 

事故後、現場には多数の証拠が残っていたのだろうが人々の手に残ったものは、前輪のタイヤ痕を撮影した写真1枚だけだった。そのほかのものは降り始めてほどなく強さを増した雨が流し去った。

 

法廷。

 

三浦遥は、「急に左のわき道から車が飛び出してきたので右にハンドを切った」と弁明していた。

 

証言台に立ったのは、現場を担当した交通課の警察官だった。制服の襟を正し、証拠として提示された写真に手を添える。

 

「この写真は、事故当日の現場に残された前輪のタイヤ痕を写したものです。痕跡はセンターラインから約35センチ、対向車線側に入り込んでおり、車道に対してほぼ直角につけられています」

 

検察官が頷く。「つまり、被告人の車は事故直前、継続して対向車線にはみ出していたと推定されるのですね?」

 

「はい。ブレーキ痕がまっすぐに伸びていたことから、ハンドルを切った形跡はなく、被告は前方不注意のまま、直進していたと考えられます」

 

法廷の空気が沈む。

 

検察の主張は明快だった。

子どもに気を取られた三浦遥が、無意識に車線をはみ出して運転を続け、気付かないまま対向車に突っ込んだ。

 

被告人席に座る遥は、俯いたまま動かない。顔色は青く、涙をこらえているのが分かる。傍聴席の一角、彼女の夫・三浦翔太は拳を握りしめていた。

 

遥は事故の瞬間、娘の落としたおもちゃに手を伸ばしただけだと言っていた。その一瞬、顔を前方から逸らした。だが車線をはみ出していたかどうかは、自分では分からないと──

 

「彼女はそんな運転をする人じゃない」

 

事故から2週間後。翔太は真実を追うため、ネットで過去の交通裁判例を読み漁っていた。そのなかで、「写真証拠の読み解き方に警鐘を鳴らす論文」を書いている学者の存在を知る。

 

名は、八木修一。地方大学の名誉教授で、交通鑑定の専門家。翔太は連絡を取り、事故の写真と資料を持って彼の研究室を訪れた。

 

八木は老眼鏡の奥から、前輪のタイヤ痕を写した1枚の写真をじっと見つめた。

 

「……これは前輪だけだな。他は?」

 

「雨のせいで、他は消えたそうです。警察の記録でも、それ以外の痕跡は確認できなかったと」

 

「つまり、この1枚で彼女の罪が決まろうとしているわけか」

 

八木は唇を結び、ゆっくりと口を開いた。

 

「ふぅ~む、この写真は…」

 

翔太の目に光が戻る。

 

再び法廷。

 

証人席に呼ばれた八木教授は、静かな足取りで証言台に立った。歳を重ねた姿には威圧感こそないが、どこか揺るぎない知性の気配が漂っていた。小さく咳払いをしてから、落ち着いた声で証言を始めた。

 

「私の意見としては、この写真から“タイヤ痕がまっすぐである”ことがわかります教授はさらに話を続けようとした。「ですが~」」

 

検察官がすかさず立ち上がる。

 

「ちょっと待ってください。あなたはこの写真が“まっすぐに付いたタイヤ痕である”ことは認めてますね?」

 

八木は一度頷きかけたが、やや言い淀んで答える。

 

「ええ、写真上は……まっすぐに見えます」

 

「では、それだけで十分です。あなたの“想像的な推論”を展開するのは、この場にふさわしくないのでは?」

 

弁護人がすぐさま「異議あり」と声を上げた。

 

裁判長は穏やかに制し、「続けてください」と促す。

 

しかし検察は一歩も退かず、声を強めた。

 

「この証人の話は、個人の推測の域を出ない見解であり、実証的証拠とは言えません。感情的混乱を引き起こすだけのものです」

 

裁判長は書類に目を落としながら慎重に言葉を選んだ。

 

「証人の発言には一定の専門的根拠があります。異議は却下します」

 

検察官は眉をひそめ、やや語気を強めて言い放った。

 

「抗議します」

 

裁判長は静かに、しかし動じることなく答えた。

 

「記録します」

 

そのやり取りを経て、弁護人が深く一礼し、最後の問いを投げかけた。

 

「教授。あなたの立場から、この写真に基づいて、どういった“別の可能性”があるのか、説明していただけますか?」

 

八木は一瞬だけ傍聴席に目をやった。そこに座る被告人の夫と目が合ったようにも見えた。その表情に、わずかながら満足そうな微笑みが浮かぶ。不謹慎かもしれないが、ようやく自分の言いたいことをすべて話すことができる──そんな安堵と高揚が、彼の顔ににじんでいた。

 

八木は静かに語り始めた。

 

「急ハンドルを切ってブレーキをかけたとき、タイヤ痕がどう付くかは、条件次第で変わるのです。衝突のエネルギーでハンドルが戻ることもあるし、地面の摩擦や車体の向きによって、痕跡は“直線”にも“斜め”にもなる。……この写真1枚では、まっすぐ走っていた証拠にはならないのです。このタイヤ痕は、衝突直前に被告がハンドルを右に切り、反射的にブレーキを踏んだ結果でも説明がつきます。衝突の瞬間に衝撃でハンドルが戻された場合、タイヤ痕は結果として“まっすぐ”に見えることもあるわけです。つまり、事故を避けようとした動作の痕かもしれないのです。……そう考えると、この写真は”詳細は何もわからない。何も証明していない”ということを証明しているのです。」

 

その場に、ざわめきが広がった。

 

傍聴席からは微かなざわつきと息を呑む音。被告人席では、遥がそっと肩を震わせ、翔太は拳を固く握ったまま、前を見据えていた。

 

判決の日。

 

裁判官は慎重に言葉を選びながら読み上げた。

 

「……本件におけるタイヤ痕の証拠は、限定的かつ不完全なものであり、被告人が継続的に対向車線を走行していたという検察側の主張を支持するには足りない。よって、被告人三浦遥には、無罪を言い渡す──」

 

被告人席で遥が小さく嗚咽した。

翔太は静かに目を閉じ、手を強く握った。

 

写真は真実を写すとは限らない。ときに、

その“欠けた部分”こそが、真実を語っていた。

 

 

***

原案:わたし

執筆:ChatGPT