この夏、海に行く予定ある?
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こんにちわ。
わたしが住んでる集合住宅は9階に部屋があって、ドアを開けて外に出ると遠くに港が見えます。
この方向が東なので海側から登ってくる朝日や、朝日が上る前の複雑な色の雲やらが見えるのです。
仕事から帰ってくるときもドアを開けて部屋に入る前、少しだけ振り返って海を見ます。
きょうは船が多いとか、港の上をヘリが飛んでいるのもよく見かけます。
季節の節目では港で花火も上がるのでうちの前に立つ同様の高い住宅のいただき越しに大きいの花火が上がったところを見られます。
直線で5キロほど先にある海ですが、今以上先まで進んで間近に見たことはもう何十年もないなぁ。
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話は変わって。
とあるテレビ番組での某学者さんの発言に対して、某政治評論家?さんが、
「なんで学者ってこうも偉そうなんや。何の役に立つかも分からん研究をいかにも意味があるように装って研究費を引っ張る学者が世の中に多数。こういう輩も立派な詐欺師や」
といいなさったそうで。
わたしは番組を見ていたわけでもなく、この発言が話題になりそうなところを切り抜きで書いているのだろうことは理解します。
ですが、研究って「この先これを開発する」という目的のある研究もあれば「何がわかるか、成果が上がるかわからないけど何かを感じるから続ける研究」存在するのは昔からあり重要なのだと思います。ノーベル賞でも、偶然の発見とか失敗から畑違いの結果が得られてなどという話は少なくないと思います。
「未来は誰にもわからないから、何でもやってみる挑戦が大切」
みたいなことを山中伸弥さんが言っておられましたが、わたしみたいな学のない人間にもわかりやすい一言です。
目先の成果を目論み計算づくで研究を続けている営利企業が多くを占めているのは現状で仕方ないことかもしれませんが、計算高くなって打算にまみれた研究だけになったら、それこそ科学など終わりなんじゃないかと思います。
わたし、むかしから思っているんですが弁護士って、別に正義を守るわけじゃないですよね。現行の法律に則ってその解釈を講師しながら相手の主張と闘うということであって、人が思う正義とは別のものですよね。弁護士なら、依頼人に利益をも足らせることが成功であり、例えば「依頼人が無罪になれば」真犯人を特定する必要はないわけですし。
今はメディアに取り上げられることが飯の種だから、いろんなものに食らいついていかないといけないのかもしれませんが、なんにでも食いつき過ぎではないでしょうか。
それるけれど、
「わからない」という人に「なぜ、こんな事がわからない。勉強してから来なさい」とだけ言い続けるのはイジメてるのと同じよな。わからない人には説明してもわからない可能性が高いので、最低限そのことを考慮してやんわり遠ざけるのも人間の情という気がしますわ。