”映画「こおろぎ」”のわたしの感想 | 記憶の欠片(ピース)

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病気がちで、甲斐性のないおっさんのブログ。
小説・ショートショートを書いていましたが、気力が失せたため、思い付きでいろんなことを書いています。

映画「こおろぎ」を見た上での感想をというリクエストにお答えしてみました。わたしの独断と偏見による(山城新伍風)感想です。

ストーリーの根幹に触れることも書いているので、ネタバレが嫌いな方は読まないでください。

 

観る前に、まず映画のあらすじが書いてあったので読みまして、そしてネットでレビューを書いておられる方の記事もいくつか読みまして、その上で「ああ、胸が悪くなる映画だったらやだなあ。そうしたら途中で観るのをやめよう」と思っていました。

が。とりあえず、「俺は汚いものを見すぎてるぜ」(ダーティハリー風)なわたしとしては、全く問題ありませんでした。

 

では、冒頭部分から順に突っ込んでいきたいと思います。

先に書きましたとおり、最初にすごく警戒して見始めたもので、いきなり「なに、この音楽とフォント」と思いました。

すごく和やかに始まったので、ビックリです。その上に、「海を望遠鏡で観ているようなワイプ?」が登場。シンドバッドが出てくる往年の冒険映画を観ているような雰囲気にさらにビックリしました。ここまでで、あらすじを読んで感じた、おどろおどろしい恐怖感が全くなくて拍子抜けしました。

そして、昔宣教師が来てという解説が文章で表示されます。ここで一言苦言を。

「十年も経たず、幕府は弾圧を開始」

何が十年も経たずなのですか?十年はあなたにとって短いと言うこと?弾圧は十年以上経ってからにすべきなの?

わたし、こういう、「書き手が自分だけ理解していて、誰にでも意味が通ると思っている文章」を見ると、すごく突っ込みたくなるんです。ゴメンナサイね。まあ。人のこと言えないけどね。わたしも自分の文章を読み返して、時々、意味不明で自分で驚くわ。

 

そして、あらすじにあるとおり、盲目で口のきけない壮年男性と女性の生活の姿が描かれていきます。

他の方のレビューで、この辺りで一番多く見受けられたのが、「食事シーンが汚くてムリ」というようなものです。

わたし、全然平気でした。なぜかというと、老人ホームで、手でごはんを食べちゃうとか、毎回食事でめちゃくちゃになる人とかたくさん見たことがあるのです。

恐らくなのですが、この映画を撮った監督は、ここで観客に嫌悪感を与えたかったと思います。すみません。感じませんでした(汗

 

あらすじによれば、鈴木京香の役は、相手の山崎努を「飼っている」という表現が使われていますが、どこが飼っているなのでしょうか。

飼っている以上は愛玩動物としてなのですか?だったらもっとかわいがらないとねえ。それか、ものすごいぞんざいに扱うとか。たいしてショッキングでもないと思ってしまいました。

山崎努の靴が隠してある描写がありました。これは彼が勝手に家を出て行ってしまうと困るからなの?だったら柵とか作らないとね。ドアに開けられない鍵を追加するとかね。病院だと、徘徊がある入院患者は、拘束も珍しくないですよ。もっとずっと残酷で厳しいわ。まあ、それと比較してもしかたないのですが。

 

鈴木京香は山崎努の散歩に付き添って危険を回避させているのに、彼は一人で風呂に入るの?全盲で口がきけないのよね?いいの?

しかも風呂に入っている彼を置いて「買い物行ってきます」って、どういうこと?もしかして、未必の故意で事故死してくれるのを待ってるのかとか思いました。

 

そして、この町には「ちょっとオサレなバー」があります。

みんな、服がすごいオサレだし、髪型とか都会的。漁港のある山も近い田舎町よね?おかしくない?

わたし的には、「田舎町では、少しオサレな店でも客は長靴で入ってくる」というイメージがあります。

すごい偏見ですね。すみません。

 

山崎努が倒れて、往診のお医者さんらしき人が登場。

スーツに黒い診療カバン?イギリス映画の見過ぎじゃないかな。ここら辺のお医者さんはオサレなのかな。

往診の医者は白衣を着て、中はジーパンにTシャツで、看護師と二人で来る。っていうのが相場だと思ってたから。

あと、お医者さんがその場で薬を置いていくの。それって助かるわ、と思う人、多いですよきっと。

 

そして、よく分からない話が展開していって、なんか海から引き上げられるの。

ダイバーが潜って、クレーンで。

すごく大きくて重そうなものなのに、引き上げ用の網がキレイに掛けられているの、吹き出してしまったわ。

でもそのあとかな、ちょっと感動したの。鈴木京香を写真に撮る男性がいて、そのカメラがポラロイドSX-70(たぶん)なの。懐かしくてうれしかった。

 

あとは、最後までよく分からない話のまま、淡々と進んで終わってしまったの。

最後の最後に、山崎努を見つめる女性が出てくるのだけど、山崎努と暮らす女性は、この人の方がよかったような気がしました。

 

以上、いろいろ突っ込んでみました。

 

監督はこの映画でなにかをいおうとした。けれど、その何かが何であるかを観客に伝えることに失敗した。

そのようなことがわたしには伝わって来ました。

ストーリーのポイントでの作り方がイージーな印象を受けました

映画全体としては、「わかりません!」

 

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以下、短編小説。(スネークマンショウのパクリ)

 

映画評論家A、きょうの司会者「きょうはねえ、おもしろい映画とつまらない映画、っていう話題で話し合ってみたいんだ」

映画評論家B「じゃあ、僕から言わせてもらうよ。おもしろい映画って言うのは誰にでも分かるんだよね。つまらない映画っていうのは、難解でつまらないとかいうこともあるじゃない。でもそれは芸術的価値が分からないっていう場合もあるよね」

映画評論家C「うん、そうなんだけどさ、やっぱり、おもしろい映画っていうのは同時に芸術的価値も高いと思うんだ。つまらない映画は、そういう意味では劣るよね。それを理解した上で、おもしろい映画もある、だけどつまらない映画もある。そう言えるんじゃないかな」

映画評論家A「いや、いや、でもね、おもしろい映画とつまらない映画を比べたら、当然、おもしろいほうがいいに決まってるじゃない。それは無視できないよね。やっぱり、芸術性が云々ていう前にさ、おもしろい映画撮れよ。そういうことを分かった上で、映画を撮って欲しいんだよね」

映画評論家B「ううん、でもさ、僕は年に300本以上映画を見るけど、その経験の上でね、おもしろい映画っていいな、そう思うんだよね」

映画評論家C「観る映画の数なら、僕だって400くらい観ますよ。それをもう20年は続けてるわけ。それで磨いた審美眼ていうの?そういうのがあって、そんな僕が、映画にはおもしろい映画とつまらない映画がある。そういえるんだよね」

映画評論家A「だけどさ、僕だって……」

 

では、失礼しましたー。

名誉棄損とかで訴えられないといいわぁ。