タイトル「見知らぬ約束」(ショートショート) | 記憶の欠片(ピース)

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病気がちで、甲斐性のないおっさんのブログ。
小説・ショートショートを書いていましたが、気力が失せたため、思い付きでいろんなことを書いています。

タイトル「見知らぬ約束」



 ある中堅精密機器メーカーの営業マンがいた。彼は35才でいまは独身生活を謳歌している。なかなかの営業成績を収めている男で、仕事人間。ミスター営業マンとかエースなんて呼ばれたりもする。
 今夜も遅くまで営業活動をして深夜近くに帰宅となった。帰宅するとすぐにシャワーを浴びる。一日の汗を拭い落としたらガウンを着る。そしてソファでくつろぐというわけではなくパソコンを据えたデスクの前に座る。脇のテーブルには帰りにコンビニで買った弁当を2種類とほかに惣菜を2,3袋から出して広げ、缶ビールを開ける。全部食べきれるわけではないが、昼間はろくに食事をする時間のないことも多く、そばだのうどんだのカレーだのと単品でさっさと食べ終われるものばかりなので、夜はせめてバラエティに富んだ食事をしたいと思い、毎晩必要以上に食べ物を買って帰る。半分くらい食べ残して捨ててしまうことも多い。「心の豊かさを維持するための物質的ムダの許容」と考えているが、「まあ、もったいないし、よくないことだ」そういうことは感じている。それでも、鶏の唐揚げを一つほおばってビールを一口飲めば、やはり幸せだ。そうして彼は、夕食券晩酌を楽しみながらパソコンに向かい、
「さて、あすの予定は、と」
 パソコンのスケージュールアプリを起動する。これは内容がスマートフォンのスケジュールアプリとも連動していて、彼は毎日、このアプリを見ながら行動しているのだ。
「あ、そうか。もう3月も終わり。……4月か。早いな」
 そう言いながらビール片手に立ち上がるとパソコンデスクの横の壁に貼り付けてある一ヶ月単位で日付の下に書き込みができる空白がある、よくあるカレンダーの3月を勢いよく剥ぎ取った。バリッと音がして4月が現れる。
「あれ?!なんだこれ」
 このカレンダーは書き込みができる空白が日付ごとにあるが、ここに何かかき込むことはしていない。スケジュールはパソコンのアプリで管理しているからだ。それなのに、4月10日の日付に赤マジックで丸が付けてあり、その下に「○△高原ホテル 午前10時」と書いてある。確かに自分の字だが書いた覚えがない。スケジュールアプリのほうを見ると、そこにもやはり4月10日に「○△高原ホテル 10時」と書いてある。だが、誰に会うのかなどの内容が書いていない。
「おかしいな。まったく記憶にない約束だ。誰かに会って商談をするはずだが。場所から言うと接待ゴルフも考えられるな。だが細かい情報が書かれていないと、どうすればいいのかわからないぞ。俺としたことが、きっと何かに気を取られて詳細を書くのを忘れたんだな。日時と時間しか書いていないなんて……どうしたらいいんだ」
 自分の仕事の予定など、ほかの誰に確認することもできない。彼は困った。
 翌日、彼は○△高原ホテルに電話をしてみた。そして、どうも自分の名前で一晩部屋が取ってあることもわかった。だが、誰に会うのか。ホテルの人に、
「わたしは誰と会う約束をしたのでしょう」
 なんて聞くわけにも行かない。彼はベテラン営業マンだが、いつもの仕事でこんな初歩的なミスをするとか、すっかり忘れて思い出せないなんてことは経験がないのでひどく焦りを感じた。
「大変なことだぞ。いつも人に会うときは資料など準備万端で行くのに、そういう準備ができない。だいたい、ホテルの名前しか書いていないから、ホテルで会うのか、そこから移動して相手先の会社などへ行くこともあり得るし……いや参ったなぁ」

 彼は悩み、答えが出ないうちに4月9日がやってきた。
「よし、あしたは、もう何でも対応できるようにして行くしか無い。資料を各種取りそろえて……ゴルフ道具も一式持って行こう。一泊部屋を取ってあるのだから、夜にパーティーなどがあるのかも知れないな。少しフォーマルな服もあったほうがいいな……あとは、あとは」
 夜遅くに、せっせと大荷物を車に積み込んだ。

 ○△高原ホテルまでは車を飛ばして2時間くらいで到着した。
「さて、ここからだぞ。スケジュールに書いてあった10時という時間は、相手に会う時間ではなくてこのホテルにチェックインするという意味だろう。だから約束の時間は別にあるんだ。もうしかたがない、腹をくくろう。約束の時間に約束の場所へ行かなければ相手から連絡が来るに違いない。そうしたら平謝りに謝って……それしかない」
 彼はいつでも飛び出せるようにホテルのロビーにスーツ姿で待機した。
「誰か来るだろうか。もし初対面相手との約束だったら、どうしよう」
 ソワソワとずっと周りを見回した。『仕事っぽい出で立ち』で正面玄関から入ってくる人やホテルのエレベーターから降りてくる人を見ると、ハッとしてじっと見つめた。だが相手は知らん顔。たまにこちらがじっと見ていることに気づくと、いかにも見た目が営業マンの男から見つめられているので、何か売りつけられる様な気がするのか、サッと目をそらす人もいる。中には、相手もこちらを約束の相手と勘違いして話しかけてきたりした。ひとしきり話して、まるで関係ない人だとわかって、「そのせいで約束に遅れた」と憤慨して去って行った男もいた。
「ああ、なんてことだ。やっぱりうまくいかない」
 時間はどんどんたつ。もうお昼に近くなった。
「ううん……ううん」
 彼が唸りながら冷や汗をかき顔を真っ赤にしてロビーのソファにすわっているので、ホテルの人間が、
「お客様。どこか体の具合でも悪くなさいましたか?」
 声を掛けてきた。
「いやいやいや、いいんです。だいじょうぶ。お気遣いありがとうございます」
 なんて苦笑いしていると、またひとりそばに誰かが寄ってきて彼の前に立ち止まった。
「どうしたの?」
 女性だった。
「あ、え!?」
 声を掛けられて虚を突かれ、相手が仕事着とはとても思えない小洒落た服装の女性だったので近づいてきてもまったく眼中になかったために、彼は声を上げておもちゃの人形みたいに立ち上がってしまった。
「どうしたのあなた。なんでそんな格好なの?朝、ゴルフに行ったんじゃ無いの?」
 彼は、そういう女性の顔を見つめたまま、声が出なかった。
「スーツ着て遊びに来たの?それとももしかして、仕事になっちゃった?」
 その女性は彼の妻だった。
「き、キミはなんでここに???」
 彼は絞り出すように言った。
「何を言ってるのよ。きょうはあなたの誕生日で休暇を取る規則になっているから、家と会社の中間辺りにあるこのリゾートのホテルを予約した。自分は朝から軽くゴルフをして、お昼から会おうって言ったの、忘れちゃった?」
 彼が真っ青な顔になって、ホテルの名前と時間しか書いていないスケジュールが一件あって、それを仕事だとばかり思って、いままでずっと右往左往していた次第を妻に話すと、
「キャハハハハハ」
 彼女はおなかを抱えて笑い出した。
「ああ、でもよかった。キミに会えて。下手したらどうなっていたか……」
「フフフ。ねえ、ミスター営業マンさん、仕事は終わりにして、わたしと食事に行くのはどうかしら?」
 彼女は彼の腕に自分の腕を絡ませて微笑みかけた。




おわり