2007年9月16日(日)
おはよー
(神々しい朝日俺には日常)
停電ナイトの翌日はむっちゃ早起き
そして、町に出向き
野菜ゲット!
物資不足のジンバブエでも種類は限られるが、野菜、果物やはその辺の市場で売っている。
(砂埃にまみれてます。気になる人はアマゾンで購入してください)
ただ、なんつーか.......
肉食べたいね
魚もね
たんぱく源はなかなかお目にかからない。
ジンバブエでよく使われる玉ねぎ、トマトの2大野菜を購入。
バナナも一房購入
これだけでとりあえず腹は膨れる。
この日は日曜日。
スーパーは閉店しているが、小さな個人商店は開いている。
期待せずに店内を外から覗いてみると......
バンズが売られているではないくわぁ!
(画像拝借!実物はなんつーか....もっと...ねぇ?)
店頭には残り1個。
急いでIN
これってラス1?
って聞くと....
そーだぎゃ!おみゃ~はラッキーだで!!
っと言われたので瞬時に購入。
俺ってラッキー!!!
思いもよらぬ上出来な買い物ができ、上機嫌の俺はサンバを踊りながらパキスタン人経営の絨毯屋に直行。
目的はレートチェック。
よく来たわね!レートに動きあったわよ!!
っと店員のねーちゃんが入店するなり言った。
昨日からレートが動いてきたわ。今日のレートは1US$=340000ZW$よ!先週まで300000ZW$はなかなか越えなかったけど、昨日から越えちゃった。まだまだ上がるわ、確実に。両替は慎重にね!
とのこと。
帰宅すると電気も水も戻っていた。
よっしゃ!今日はラッキーDAY
時刻はまだ14時くらいだったが夕食を作り、水浴び、洗濯を済ませた。
そして17時過ぎ。
プチュンッ
停電開始
う~ん......平常運転
今夜も食って出すもん出して寝るだけ
おやすみなさい
っと、20時前には就寝したのであった。
★小学校3年までは20時には寝ていた。
20時以降の世界は未知の世界だった。
小学校高学年になると土曜日の夜22:00放送開始の大橋巨泉司会「世界まるごとHOW MUCH」を見て寝るのが習慣となり、少しだけ深夜の世界を知る。
中学に入ると土曜夜、「ねるとん紅鯨団」「夢で逢えたら」という2大深夜番組を見るのが習慣となり、平日深夜もラジオの深夜放送を聞いたりですっかり深夜族の仲間入り。
以降、大人になり、それはそれはもう......
しかし、ジンバブエに来てそれら習慣はリセットされ実に健康的なサイクルで生活ができるように。
っが、それと反比例するように食糧事情はあまり芳しくなく、体重はベストを大きく下回り、何となく力が入らない日々を過ごすことに。
今思えば粗食で良かったんじゃね?って感じなのだが、当時は30代前半の血気盛んなお年頃。
とりあえず肉食べたかったっす