
毎回小学生ネタやら卒業式ネタやらで
ちょこちょこ震災に関して
だしているんですが
今回は「震災」自体がネタなので
一回そのときの僕の様子書くことにしました。
長くなるの覚悟でお願いします。
僕は震災が起きる少し前、
小学生だったんで当たり前に学校にいました。
当たり前って言っちゃいかんですね。
小一・二の子は下校時間ちょいすぎで
それ以上の学年の子も下校時間になるところ
といったところでした。
僕は音楽室掃除で地下にいました。
箒振り回して逆にゴミ散らかして、
先生に怒られて とまぁ普段通りの感じ。
強いて言えば卒業したら学校何処いくのとか
離れちゃうねとか話題が違ったことぐらい。
それでも大体の子がそのまま上にあがるし。
地震が始まったのが 掃除中。
始めは先生が「なーんか揺れてる??
みんながちゃんと掃除しないからよ」
先生歳なんじゃないですかーw
とか話していたらガタガタってきて。
初期微動継続時間って奴←
刹那みんなちょーびっくりして
なにしろ地震なんて久々で
結構でかめだったし
とりあえず机のしたにもぐって
机の足押さえていた
みんなギャーギャー騒いでいたけど
僕にとっては震度3ぐらいかなぁ
みたいな感じだった。
女子って大した事なくても
ギャーギャー騒ぐように出来てるし((
先生はTVいじってニュース見てたけど
速報も大したのなくて
揺れが収まったらすぐに校庭!!ってなって。
わらわら廊下でて またまたびっくり。
非常用扉が何故か閉まっちゃって出られない。
流石に僕も焦ったw
また女子特有の大騒ぎになって
先生と押しまくったけど
ちょっと引いたら開いて
安心感と馬鹿さ加減に爆笑w
中央階段使って校庭へ。
校庭はもう結構集まってて
一人避難訓練のノリだったけど
みんな深刻そうな顔しててビビった((
どしたの、そんなにでかかったか
って聞いたら隣の教会の十字架が折れて
空にからすの大群が飛んでる
って泣きそう声して言われて。
確かそうだったけど
だからなんだよみたいな感じで。
そのまんま言ったら
残月は強いね安心出来る
とか意味不な事を言われて
わらわら取り囲まれた。
男子も泣きそうな顔になってて
爆笑寸前、めっちゃ堪えてたw
貰い泣きが多い僕ですが
案の定 取り囲まれてるせいもあって
ちょっと貰い泣きしました。
先生が集まって暫く話し合いした結果
残っている人は全員教室に戻って
親が迎えにきたら一緒に帰るってなって。
新校舎だし安全だねーみたいな。
一応連絡網は回したけど
電話も繋がらないし
メールも怪しいみたいなことになって
本気で泣き出した女子数人、
貰い泣きした子数十人で。
僕は徒歩通学だったし
いつかは迎えにくるだろうとのほほんとしてました。
実際は現実直視出来ないで
逃げていたのかもしれないですけどね。
全然強くないから僕。
まず地震関係なく車で迎えにきていた
親が教室に乗り込んできて
娘&息子を連れ去って帰ってったw
僕の親も結構早めにきて、
連絡網回っていないことを告げて自宅へ。
お弁当残してるから怒られるかなとか
どーでもいいこと考えながら
帰り道歩いていたら
自宅の前で暫く外にいたほうがいいってことになって。
姉貴と家から持ち出したラジオ片手に
僕はランドセルしょったままぼけーっと小一時間。
震源は東北の方で
何やら結構でかかったっていうことが分かった。
まぁもう戻るかってなって自宅へ。
何かが倒れていたりっていうことはなかったけど
実際は少し片付けてから外に出たそうな。
早速パソコン立ち上げてニコタでチャットw
最近の情報入手はチャットに限りますなw((
そのときアメーバやってなかったからw
(本当はずっと前にやっていたけどID忘れたって言う)
やっぱり詳しい情報入手出来て
地下にいた僕は全然感じなかったけど
普通に地上にいた人は最期の別れかと思ったw
とか言ってて凄かったんだなーみたいな。
なかなか現実感がなかったのは
やっぱりお得意の逃避していたのかな、
つけっぱのテレビから
津波がくるかもしれないから
沿岸から離れるように
っていう放送が繰り返し流れて
今回はデカイから本当にくるかもってなって
齧りつくようにテレビ見てたけど
結局起きている間はこなくて
なーんだってちょっとがっかりして。
今となっては凄く馬鹿だなぁって思うけど。
その時は津波の怖さを知らなかったんだ。
次の日もその次の日も 学校に行かなくて
でも暇だったから宿題だけやって過ごしてた。
まだ小さい揺れは頻繁に起きて
船酔いみたいにずっとゆらゆらしてた。
津波が起きたのはいつだかわからないけど
ある日親が見てよ!!ってさけんで
なーんとなく見てみたら
頻繁にながれていた津波の様子が映ってて…
見たくなかった、現実だと思いたくなかった。
その時ははっきり逃避していたって言える。
その後卒業式だけは行いますから
19日学校きてくださいっていう連絡が
パソコンのメールだけに届いて
親が反対しても 行った。
普段だったら行きたくない小学校。
大っ嫌いな小学校。
六年生を送る会、送別会、お楽しみ会…
やっと卒業出来る嬉しさと
全てのイベントが中止になった小学生は
やっぱり最悪だったと思う気持ちとぐちゃぐちゃしてて
卒業式に出なかったら
小六卒業出来ないって思った。
でも出ても小六卒業出来なかった。
そんな気がするんだ。
五年生は誰一人来なかった。
六年生は半分も来なかった。
まだ練習とかもしてなかったから
ぽんぽんぽんって証書を軽く渡されて
卒業ってだけじゃない涙を流した。
その後仲良しな子達は誘い合って
食事しにいったりしたみたいだけど
僕はそのまま逢坂へ。
親がUSJのホテル予約してて
一週間そこで過ごした。
旅行って小学生の時
金沢いったっきりでワクワクした。
地味に嬉しかったし、大阪城もいけたし、
USJで遊べたし、色々食べれたし
親優しかったし 楽しかったのに
でも泣けて辛かった。
もう一回ちゃんと行きたいな。
その間津波だ
東京含め多くの地域は
雨が降って放射能だ
等々問題が多発していました。
逢坂でもテレビ付けると
狂ったようにAC流れて。
そんな中銀魂放送してて
なんか泣きそうだった。
っていう泣いた、すげーなって。
震災から一年。
みんなそれぞれ思うことが有ると思います。
今生きていられることに感謝して
この命を大事にこれから生きていきたいです。
生きていたくないって思うときも多々有るけど
決して無駄にして欲しくない。
限界まできたら 寄っかかれ。
精一杯支えてやんよ。