相馬野馬追に行ってきました!

(二日目の本祭りのみ)

 

といっても急遽行くことになったので

相馬とは…とお勉強したのはすごくザックリです。

 

とりあえずのイメージは、

伊達とよく争っていた

お隣同士

 

しかない。

 

あとは、成実の奥さんの母は相馬の人。

義理のお母さんが相馬義胤の妹ってことくらい。

 

(以下相馬について。うぃき情報なのでとばしていいです)

■相馬とは

陸奥相馬氏(中村相馬氏)は、遠祖・千葉氏が源頼朝から奥州の小高に領地を受けた後、千葉氏族・相馬重胤が移り住み、南北朝時代の初期は南朝が優勢な奥州において数少ない北朝方の一族として活躍した。戦国時代初期には行方・標葉・宇多の3郡を支配するだけの小大名に過ぎなかった。

しかし武勇に秀でた当主が続き、さらに独立心が旺盛で、伊達氏や佐竹氏に対しても一歩も引かなかった。伊達氏とは小高と中村の双方に目を配らせて30回以上におよぶ戦闘を重ね、たびたび苦杯を舐めさせている。やがて伊達政宗が現われ南奥州の諸大名がことごとく政宗の軍門に降った時も、相馬義胤は敗れたとはいえ独立を維持し、伊達氏と戦う意地を見せた。そして天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐に際し豊臣方について本領を安堵された。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいては中立。豊臣政権時代に西軍・石田三成と親密であった佐竹義宣の弟・岩城貞隆と婚姻を結ぶなどしていたため西軍寄りとみなされ、徳川家康によって改易された。しかし中村相馬氏は訴訟を起こして伊達氏を友に付けてこれをしのぎきり、再び旧領を奪還して近世大名(中村藩主)として生き抜くことに成功した。その後も水戸を追放され秋田に転封された佐竹氏とは養子を送りあって親密な関係を維持した。陸奥相馬氏は現在の浜通り夜ノ森以北を鎌倉開府から戊辰戦争終結に至るまで740年もの長期にわたって統治したため、相良氏や島津氏とともに世界史上にも珍しい領主として知られる。

 

 

 

 

まとめると、

 

武勇に秀でた当主が続き、

独立心も旺盛、

なので他の小国と違って強い家に頼ったりせずに

ご近所に伊達がいても一歩もひかなかった、と。

 

伊達は何度か本拠地が変わってるけど

相馬はずっと同じ土地。

 

そんな感じでしょうか。

 

 

今回のスケジュールは、

 

・相馬中村神社へお参り

・お行列

・甲冑競馬

・神旗争奪戦

・南相馬市博物館

 

です。以上。

 

日帰りだったの。

夜明け前に出発して、日付が変わる前に帰ろうと思ったらこんな予定になってしまいました。

 

もっといたかっよ。

 

来年も日帰りしかできなくても、違う日に参加してみたい。

 

 

まずは、相馬中村神社なんだけど、

これはまた別にまとめます。

 

ではでは、まずは500余騎の騎馬武者の行列から!

 

・お行列

相馬市から9:00に会場近くに到着。

事前に調べていた行列スタート地点の駐車場に行くとすでに満車でした。

係りの人に聞くと、火力アパートは空きがあるのでそこへと教えてもらいました。

 

火力アパートに無事に駐車して

とくに何も考えず、駐車場所から一番近い通りへ。

 

このへんです。

このとき9:30、すでにお行列はスタートしてるけどまだ人もまばら。

 

このあたりには10:00くらいに到着するというアナウンスが聞こえてきました。

近くにテントがあって、事務局?実行委員?の詰所があったようでした。

 

が、とくにパンフレットとかはありません。

観光客向けの案内所ではないような。

入場券をくれた友人から送られてきた案内がこの日一番役に立ちました。

 

近くにローソンがあったので飲み物を買って待機。

道端のどっち側にいたらいいのか、しばし熟考。

 

というのも、お行列は絶対に横切ってはいけないのです。

たとえ途中の列がどんなに途切れていても!

斬られるくらいの無礼なことらしいです。

 

実際、何人か横切る無礼者がいて

あんまりひどい人は騎馬武者に怒鳴られてました。

 

いや、丁寧な言い方だったけどね、

あの声量で注意されたらそんな感じに聞こえます。

 

1時間15分にもおよぶお行列(この場所ではそれくらいかかった)

一番のハイライトは!

待ちに待っていたのはこのお方!!

相馬中村藩の御当主(の名代)

相馬行胤さま!!

 

いやこっち側でよかった!

名前が書いてある布、左の肩にかかってるの。

この名札が見えなかったら私、どうしようでした。

ネットで印刷した「お行列の順序と旗」PDFとにらめっこしながら見学してたから

全然わかんなくなるとこだったよ。

 

でも全然詳しく載ってなかったけどね。

平成29年度 相馬野馬追御行列列帳とは題してあるけれどざっくり。

1御先乗

2軍者

3御使番

4組頭

という感じ。

 

あとで手に入れた紙の列帳を先に見たかった。

これ。

1先頭御先乗  個人名

2御先乗

3  〃

4  〃

5  〃

 

こんな感じで詳しい。

しかも、

 

赤 相馬太田神社(中ノ郷)

黄 相馬小高神社(小高郷・標葉郷)

青 相馬中村神社(北郷・宇田郷)

 

と色分けまでされていて分かりやすい。

 

この色分けがグッズにも反映されていると後で知りました。

 

私が買った相馬グッズはこちら。

フェイスタオル 1500円

何も知らずに、なんとなく選んだ青でした。

日付が入ってる…これ毎回買わなきゃいかんやつや。

次は他の色にしよう。

 

扇子 1800円

裏に、相馬流れ山の歌詞が書いてあります。

落ち着く香りつき(個人的感想)

 

 

そんなこんなで御行列を同じ場所でじっくり鑑賞していました。

もしかして移動しながら見るかも?と考えたりもしたのですが

歩道が狭くてそんな余裕はなかったです。

隣の地元の方とおぼしきおばさまも簡易椅子を用意して最後までご覧になっていましたから。

なぜ地元の方かと思ったかというと、何人もの騎馬武者に声をかけていたからです。

○○さんがんばって~!と。

こんな感じで。

 

そして終盤に差し掛かった頃、人通りが増えてきました。

騎馬武者の御行列と一緒に歩く人がたくさん。

こんな感じに。

どうにか人と人の合間に写真を撮ろうとしても

通行人が写ってしまいました。

ビデオも撮ってたんだけど騎馬武者が人で隠れて歯がゆい思いを。

 

地元のオバさまは、ずっと立ち止まってる人に「見えないよ!」と注意してたり。

これじゃ騎馬武者かわいそう…とこぼしてました。

というのもこの人の移動が全然途切れなくて。

歩道は狭くて、鑑賞する人の後ろは通れない。

なのでカメラやビデオを抱えている人の目の前を通り過ぎることになってしまうのです。

 

後で分かったのは、

もしや雲雀ヶ丘祭場地での席とりのためだったのでは?と。

 

御行列を最後まで鑑賞してから会場に歩くと、いい席は少ないのかもしれないと思ったのでした。

 

 

 

長くなったので甲冑競馬と神旗争奪戦は次回へ!