一昨日、仕事上で、大変重たい出来事がありました。
自分史上最大に重たい出来事で、どうにも抱えきれなくて
雨が今にも降り出す前の雨雲のように
重く重く垂れこめていました。
自分のチカラでなんとかできることではなく
かといって慰めたり擁護したりできることでもなく
支えられるかな?
じゃあどうやって支えんの?
そんなことできんの?
重すぎて頭の中で疑問符がぐるぐる回って
目が回りそうでした。
自分の努力や、時間や、体力や、何かでなんとかなるなら
なんとでもする。
でもそれを超えた出来事に出会ったとき、
人はどうすればよいのでしょう。
それでも最善と思う道を
そして小さくても自分にできることを見つけて、
毅然と前を見てぶれずに立っているしかない。
もともと自分ができることなんてちっぽけなことだ。
自分にできることを
自分の場所で。
最近日が短くなってきた。
すぐに真っ暗になる。
そんな真っ暗で閑散とした職場でじっとしていると
バイブの音が響く。
私はずっと携帯は無音。
おにゅの声の「メールダヨ、チャント、チェックシテネ!」は
設定してるけど聞けない。
それは、隣の市に住む母からのメールだった。
遠く離れて暮らしているわけではないので
時々忘れた頃にメールがくる。
大概一方的。
意味不明なことも多く
メールを勝手に自分の都合のよいよう判断するのも得意。
『今、家の前にいるんだけど誰もいない。
鍵を持ってなくて入れないんだけど
どこにいるの?』
急に思い立って、仕事の帰りに遠回りして寄ってくれたんだろう。
でも、何度連絡してから来るように言ってもこの癖がなおらない。
とりあえず、心のままに来ちゃったって感じだろう。
私は仕事で取り込んでて帰れてないし、
その影響で子どもたちもOttoくんの実家にいて帰ってない。
突然夜の7時半にやって来た理由は、
「お父さんと旅行で、東京スカイツリー見てきたからお土産渡そうと思って。」
。。。だそうで。
なんだか憎めないこの人の血が流れていることを
痛いほど感じる瞬間がある私です。
似ないでいいとこ、似ますよね。
母娘って。
でも、その母の動物的直感に驚いたのん。
今までも、仕事で非常にしんどいって状況に追い込まれてる時に限って
ふらっとやってくる。
「お父さんと映画を観てきたのよー、でね、終わった後パンを食べ過ぎて
今お腹いっぱいなの。』とか
「カボスが山のようになって、これを絞ると美味しいのよ。
サンマとか最高。で、常備薬でほしいのない?」とか
(あ!うちの母、生粋の関西人だけど、標準語率高いんです。)
思ったことしゃべって、「あら元気ないけどどうしたの?」ってな感じで。
で、話を散々聞いてくれて、
「あなたも大変ね、無理しないで。」と
背筋をぴんと伸ばして去っていく。
ああ、この人の娘だなあって思う瞬間。
うっとしい時もあるけれど、
母はこの世に生をくれた以上の唯一無二の存在。
母さん来てくれてありがとう。
そう素直に言わずに、
「何回言うたらわかんの!?連絡してから来てって言ってるやん!!」
と言ってしまう娘。
今夜は素直にメールした。
ここぞの時に不思議とやって来てくれる母のカンにいつも脱帽。
また来た時に、話聞いてね。
話したいことがいっぱいです。
今夜も帰りが遅くなりました。
でも心は重くないです。
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1週間前が遠い夢のよう。。。
今週だったら行けてなかったな。
世界はうまくできている。
zeppのつづき。
気持ち忘れないように手帳にメモしていますが、
まだ最後まで綴れず。
なんだか不器用な店主です。
PCの前に座って、
そのまま綴れば
あっという間にお話できることなんでしょうね。
あ、そんな不器用さも
もう知ってくれてる方ぐらいしか、この界隈にはいないですよね。
おにゅからこんなにも遠い次元で
それでも私は生きています。