ヤフーブログ2015年10月以前の記事で
移行できなかったブログから
残したい写真のコピペです。
2013年4月8日記事から
小田原市
長興山紹太寺伽藍跡
及び境内のj稲葉氏一族の墓所
紹太寺の伽藍は、
安政年間(1859~59)さらに明治の火災で焼失しました。
参道沿いの子院、清雲院が長興山紹太寺となっています。
現在伽藍跡は、のどかなミカン畑なとになっています。
境内山側には小田原城主稲葉氏一族の墓所があります。
伽藍跡地はミカン畑など;です。
伽藍跡地一部と説明板
長興山の歴史
江戸時代小田原藩主
稲葉正則は父正勝の菩提樹として紹太寺を建立した。
また
寺号の紹太寺は
(春日局の実子)
の法名
「養源寺古隠紹太」
にもとづくものである。
伽藍跡地一部
稲葉氏一族の墓所
(小田原城初代城主) (城主の母)
春日局の墓石
本墓ではありません
二代正則が祖母の追福のために造った供養塔
(墓所、東京文京区隣祥院)
伽藍跡などのコピペでした。
さて
紹太寺は広大な面積であり多くの文化財や史跡があります。
戻って
旧東海道からの参道入口から綴ります。
総門(大門)跡
紹太寺伽藍跡には再建されず
子院清雲院が現在の紹太寺である。
参道石段入口
石段は三百数十段あると言われています 。
伽藍跡入口の橋(透天橋)
パンフレット図
透天橋
石柱
石柱を入ると広大なミカン畑などの伽藍跡です。
散策は!石段は大変なので!!!
女坂方面から伽藍へ歩きました。
2013年の画像です。
おわり
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今回もコピペ記事をご覧頂きありがとうございます。