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移行できなかったブログから

残したい写真のコピペです。

 

2013年4月8日記事から

 

小田原市

長興山紹太寺伽藍跡

及び境内のj稲葉氏一族の墓所

 

 紹太寺の伽藍は、

安政年間(1859~59)さらに明治の火災で焼失しました。

参道沿いの子院、清雲院が長興山紹太寺となっています。

現在伽藍跡は、のどかなミカン畑なとになっています。

境内山側には小田原城主稲葉氏一族の墓所があります。

 

伽藍跡地はミカン畑など;です。

伽藍跡地一部と説明板

 

 

長興山の歴史

江戸時代小田原藩主

稲葉正則は父正勝の菩提樹として紹太寺を建立した。

 

また

寺号の紹太寺は

(春日局の実子)

の法名

「養源寺古隠紹太」

にもとづくものである。

 

 

 

伽藍跡地一部

 

稲葉氏一族の墓所

  
  

                (小田原城初代城主)                                                                                (城主の母)

 

春日局の墓石
本墓ではありません
二代正則が祖母の追福のために造った供養塔
(墓所、東京文京区隣祥院)

 

    

伽藍跡などのコピペでした。

 

 

 

 

さて

紹太寺は広大な面積であり多くの文化財や史跡があります。

 

 

 

 

戻って

旧東海道からの参道入口から綴ります。
総門(大門)跡

 

紹太寺伽藍跡には再建されず

子院清雲院が現在の紹太寺である。

 

参道石段入口

 

石段は三百数十段あると言われています 。  

 

 

伽藍跡入口の橋(透天橋)

パンフレット図

 

 

 

透天橋

 

石柱

石柱を入ると広大なミカン畑などの伽藍跡です。

 

 

 

散策は!石段は大変なので!!!

女坂方面から伽藍へ歩きました。

 

2013年の画像です。

 

おわり

 

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今回もコピペ記事をご覧頂きありがとうございます。