京都人の東京街歩き 2回目「ネオンじゃないけど」 | ざれーごの戯言

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特に意味はないですが、アメブロに引越ししてきました。
また色々と文章を書いていきたいな、と思っています。

さて、2回目がハードル高いんですよ。
誰も読んでなくても書きますよ。
この1週間でいろいろ目まぐるしく私個人の環境というか、心の状態というか、が変わるように出来事があったのですが、それも関係するような、こんなテーマ。
 
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「ネオンじゃないけど」

テレビでよく見る、歌舞伎町のネオン街の画像あるじゃないですか、今や蛍光灯とLEDなので、ネオンではないけど。後は首都高を走る車から街を眺めるみたいな。
 
ああいう都会感って、なんかいいなぁと思います。
「夜景がきれい」っていうのも、極めて人間的な感覚だと思います。
 
が、その「いいなぁ」「きれいだな」は何なんでしょうか。
山や川や海といった自然を眺めて、そこに美しさを耳出すのはよくわかるんですが、夜景っていうか光に惹かれるのは、やはり星空や火といったものに惹かれる本能があるからなぁ、と深読みしてしまいます。その星空や火は、なんなのかわからない、日常のすぐ近くにある非日常、という気がします。
 
東京では、光が溢れているので、そんじゃそこらの光の量と動きでは、あまり非日常感がないんですが、それでもここまで過剰なものを外から眺めてみてみると、多くの(私のようなエセもふくめ)東京に住む人にとっても、非日常感が出てくると思います。特に立ち止まってみると不思議な気持ちになります。
 
 
燃料を燃やして、電気を作って、それを惜しげもなく使うわけです。
でも燃料燃やしてるのは、この東京じゃなくて遠い街だったりする。
もしかしたら、燃料を燃やしてなくて原子力かも知れない。
そういうここじゃない場所がこの場所を光らせていることを想像することは普段はないんだけども、そういう遠くの営みをお金に交換して、こちらで非日常を作り上げる。
 
さらに言うと、その光を見ている人にとっては非日常なのですが、その中側にいる人にとっては紛れもなく日常なんですよね。歌舞伎町の怪しげなお店で働く人や夜の環二を走るタクシーの運転手も、別に日常なので、何も思わないと思う。日常のすぐ横に非日常があり、その非日常の中に別の日常がある。という、入れ子構造。
 
ほんの少し外からみると、異様な感覚に襲われます。
 

 

文章まとまらなさすぎワロタ。