お久しぶりです。 | Jackのブログ

お久しぶりです。

もはや読んでくださっている方はいないかもしれませんが・・・


数ヶ月ぶりの更新をさせていただきます。


やはり、あの日のことから書かなければと思います。忘れないために。




3月11日。東日本大震災。


私は仙台市内の職場(某中学校)で仕事を追え、早めの帰宅準備をしているところでした。


突然の大きな揺れ。


なかなか収まることのない巨大な地震に、真っ先に頭をよぎったのは、


この日の3日前に生まれたばかりの息子と、産後の回復のために入院中の妻の安否でした。


揺れが収まり、職場に残った生徒たちを避難させた後、すぐさま妻と息子のいる産婦人科へ走りました。



つながらない携帯電話。


点灯していない信号。


そこかしこの壁面に走る亀裂。

手持ちのipodラジオから流れる、津波警報。


陥没したアスファルトの道路。


一面ガラス張り"だった"廃ビル。



街を取り巻くすべての要素が、私の不安をかき立てます。


病院まで、全力で走りました。


ホールには、たくさんのお母さんと、生まれたばかりの子どもたち。


妻はそのホールの隅の方で、息子を抱きながら長イスに腰掛けていました。


本当に無事でよかった。




余震が続く中、無情にも降り出した雪をにらみつけながら、私は宮城に住む知人・友人たちのことを考えていました。


とうとう宮城県沖地震が発生してしまった。みんなは無事だろうか。津波の被害は?山岳地域の状況は?各所のライフラインは?


ラジオの音でしか入ってこない状況に、不安は募ります。


「数メートルの高さの津波が押し寄せた」


「若林区に多数の遺体が横たわっている。」


「気仙沼の町は壊滅状態」


当初は、まさか他の県にも広く被害が出ているとは思いませんでした。


ましてや、沿岸部を襲った津波があんなにも怖ろしいものだったなど、知る由もなかったのです。


宮城県沖地震どころか、東日本全体を揺るがす大惨事だったと知ったのは、避難所に設置していたテレビを見た時でした。


その凄惨な映像に言葉を失いました。涙が止まりませんでした。




それでも、私には守るべき家族がいます。生まれたばかりの小さな命がいます。立ち止まっていられませんでした。


生きるために最善の策を。そう考えていた矢先、実家の秋田にいる両親が駆けつけてくれ、宮城を離れ避難生活を送ることにしました。




家も、家族も無事だった私たちはどれほど幸せか。


もっと悲惨な状況に置かれている人たちがいることが、ずっと頭に引っかかっていました。


自分たちだけ平穏に暮らしていて、いいのだろうか・・・・・・


当時の私は家族を守ることで精一杯でした。


できることといえば、辛い状況にある人々の無事と、少しでも早い街の復興を祈ることだけ。







あれから4ヶ月が過ぎ、息子はすくすくと成長してくれました。


私たち夫婦も、多少のトラブルはあったものの、今まで何とかやってこれています。


街は、祭を開催できるほどに活気を取り戻しつつあります。


時間が、人が、社会が、どんどん前に進んでいきます。




私にも、自分の仕事(職業、育児、家事)以外に、何かできることはないだろうか・・・。


そんなことを考えた末、導き出したのは「自分にしかできないアート作品の創作活動」でした。


宮城県や仙台市ゆかりの人物・名物をモチーフにした名前ロゴアートづくり。


名前ロゴアートによる、震災復興支援Tシャツの製作。


正直、アートの力が、どれだけ震災復興の役に立てるのか。私にも分かりません。


それでも、これを目にした人が、何か行動を起こしたり、今以上に前進したりするキッカケになればと思っています。



次回のブログにて、詳細をUPします。