いしいしんじさんという小説家が書かれた「言葉の釣り糸を垂らす」というエッセイを読む機会がありました。記憶の奥底に向かって、なんかの言葉をつけた釣り糸を垂らすと、その言葉がまるで魚の餌が魚を引きつけるかのように、底に沈んで見えていなかった様々な記憶を引き付けてくる。それぞれの記憶に形を与え、光を与え、消えてしまったと思い込んでいた記憶を目に見えるようにしてくれる、という内容です。

 

自分もある言葉を垂らしてみたら、次々とあの頃の記憶が、その時に感じた高揚感やわくわく感、不安や緊張がよみがえってきました。

 

 

「ロード・マップ」

 

 ふとアメリカの地図をめくってみると、主な都市間を結ぶ距離と時間を記したロードマップに目が入った。あらためて、アメリカという国は一つの広大な地であると実感させられる。「この場所とこの場所が、5時間もかかるの??」などと、想像を膨らませながら、しばらく地図とにらめっこしていた。

自分が大学生のころ、アメリカという国にあこがれて、そこからいろいろ国内を周ってみたいという、いわば衝動みたいなものがあった。もちろん学生の身分、お金も車もない。はて、どうやって周ろうか。。。調べてみると、全米の大きな町々をつなぐ「グレーハウンド」というバスがあるではないか。これだと思い、思い切って、大学3年生の夏休みに1か月パスの乗り放題のパスなるものを買って、アメリカに飛び立った。

 

 行きたい全ての場所には行けないが、自分が思っていたアメリカ像というものを頭に描きながら、渡米前にあれこれ練って考えたプランを元に、アメリカという異国に浸った。時には夜行のバスを使い、ホテル代わりにしたり、冷房がききすぎて寒さに凍えながら過ごした車内。不便さは極まりなかったが、それ以上に味わう高揚感やわくわく感は、今も鮮明に記憶の底に眠っている。うれしさ・楽しさは、正直半分ほどだったかな、残りの半分は不安や焦り、緊張感と、日本の便利すぎる生活への慕。

 

 今、こうやってそのあこがれたアメリカに住むことになったが、あの頃とは状況が全く変わってしまった。もちろん当時同様に、ニューヨークやロサンゼルスのような町から、グランドキャニオン、ヨセミテのような大好きな大自然に、そう大きな変化はない。ただ、その若い頃自分の中に感じていた「何かを求めてそれを探す過程、チャレンジする気持ち」が、アメリカでの旅の中に再度見つけられるかといったら、今はもうないだろう。あれから長い月日が経ち、金銭的にも移動手段もとっても、自由に動ける余裕がある。また昨今のインターネット等で、遠くの地について、容易に情報が得られる時代。とても便利で、見たいことやりたいことが、比較的簡単に手に入れられる時代となったのは言うまでもない。それを否定することはしないけど、あの頃、不自由さの中に見つけられた、何かを求めて、もがき苦しみ、そして最後に味わう達成感というか高揚感と言うのだろうか、今は果たしてそれが味わえるのだろうか。

 

 距離と時間を細かく記載されているロードマップ。今でも自分の中での想像の旅に連れ出してくれる。