2年前に書いてことを振り返って
思ったことをみました。
「私とは」
心理的なアプローチで見てみると、
私は、確固たる存在であり、唯一無二で
今ここにある状態であり、何にも変われない。
なんか堅苦しいかな。
明確に、個別に存在しているかのように
捉えられているかもしれない。
原理原則から見ていくと、
私という存在が不明確である。
そんなことを言っていいのか。
言ってしまうのか。
「私とは」、あなたではない。
そうなんだ、相手が居て、初めて見えてくる。
相手が居なかったら、私は存在しない。
どれほど自己主張したって、相対する存在がいなければ、
何も見えないのだ。
一人きりでいるときに主張しても、
私しかいないから、主張する必要がない。
誰にも主張が届かない。
私の存在すら、不明瞭になる。
私は、体でも、足でも、腕でもないし、
頭でもない。心と言っても、心が
どこにあるのか説明もできない。
相手が居なかったら、私は存在すらしないかもしれない。
それくらい、「私とは」薄い存在なのかもしれない。
それでも、私たちは、強く「私」を握りしめている。
世界は思っているよりも優しい。
そっと手放しみると、「私」が見えてくる。