狂気 13 ~ History is repeated. ~ | まつすぐな道でさみしい (第一部 完)

狂気 13 ~ History is repeated. ~



幾つかの偶発的な出来事を紡ぎ、時としてそれは大きなうねりとなり、多くの人間を捲き込みながら時代はその歩を進める。



そして振り返れば、恰かもその総てが必然の出来事であったかのように歴史に刻まれて行く。





次はお兄さん、僕と勝負してください!!






1993年11月12日
The Ultimate Fighting Campionsihp

1994年3月11日
UFC 2 No Way Out

1994年7月29日
VALE TUDO JAPAN OPEN 1994


1994年9月9日
UFC3The American Dream


1994年12月7日
ヒクソン・グレイシー柔術アカデミー 道場破り
VS.安生洋二
◎ヒクソン・グレイシー

1994年12月16日
UFC4 Revenge of The Warriors

1995年4月7日
UFC5 Return of The Beast

1995年4月20日
VALE TUDO JAPAN OPEN 1995




1997年10月11日 東京都文京区
東京ドーム

PRIDE.1

第3試合
VS.小路晃
△ヘンゾ・グレイシー《カーロス派》
(時間切れドロー)

第6試合メインイベント
VS.高田延彦
◎ヒクソン・グレイシー


1997年10月11日
PRIDE.2

第1試合
VS.佐野なおき
◎ホイラー・グレイシー《エリオ派》

第4試合
VS.バーノン"タイガー"ホワイト
桜庭和志

第5試合
VS.菊田早苗
◎ヘンゾ・グレイシー《カーロス派》


1998年6月24日
PRIDE.3

第3試合
VS.カーロス・ニュートン
桜庭和志

第6試合メインイベント
VS.カイル・ストュージョン
◎高田延彦


1998年10月11日 東京都文京区
東京ドーム

PRIDE.4

第4試合
VS.アラン・ゴエス《カーロス派》
桜庭和志
(時間切れドロー)

第6試合メインイベント
VS.高田延彦
◎ヒクソン・グレイシー

1999年4月29日
PRIDE.5

1999年7月4日
PRIDE.6

1999年9月12日
PRIDE.7


1999年11月21日 東京都江東区
有明コロシアム

PRIDE.8
第8試合メインイベント
VS.ホイラー・グレイシー
桜庭和志
(チキンウイングアームロック~レフリーストップ)


2000年1月30日
PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
第5試合
VS.ガイ・メッツアー
桜庭和志
(試合放棄)

第9試合メインイベント
VS.高田延彦
◎ホイス・グレイシー
(1R終了 判定3-0)


2000年5月1日
PRIDE GRANDPRIX 2000 決戦
第2試合

GP第2回戦
vs.ホイス・グレイシー
桜庭和志

(タオル投入TKO)







ヒクソンVS.高田戦実現の為、単発イベントとして開催されたPRIDE.1であったが、高田がヒクソンに破れ、再戦が決定した事でPRIDEはナンバーシリーズとして定期開催される事となる。




1998年10月11日 東京都文京区
東京ドーム

PRIDE.4


プロレス界に激震が走った世紀の敗戦から1年。

1年前と同じ日、同じ場所で高田延彦に用意されたリベンジの舞台。


高田延彦の露払いとして第4試合に出場した若者は、グレイシー柔術の猛者と対戦するのだが、これを仕留める事が出来ず、悔し涙を流しドームの花道を引き上げる。
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その後若者はPRID.5.6.7と連勝を重ね、PRIDE.8ではついにメインイベントの舞台に立ち、ホイラー・グレイシーを下すと、 次はお兄さん、僕と勝負してください!! と、セコンドのヒクソンに対戦を迫る事になる。


当時、日本人格闘家やプロレスラーが次々とグレイシーに沈められて行くなか、この若者の快進撃は、敗戦のショックうちひしがれた日本人の心に一筋の光を差し込んだ、あの英雄の姿を彷彿させた。
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高田延彦連敗後、初期のPRIDEは桜庭和志を主軸とし、次々と送り込まれるグレイシーの刺客を迎え撃つという、オーソドックスなプロレスの世界観で形成されている。


そしてこの構図を見れば、桜庭VS.ヒクソン戦が実現しなかった背景が自然と見えてくる。


グレイシー柔術の生い立ちやUFC.1の出場選手の顔ぶれを見れば、この一族が最初から日本市場への進出を狙っていた事は容易に想像する事が出来る。


'93年のUFC.1の開催から4年、いや'91年にヒクソンがアントニオ猪木に挑戦状を出し、門前払いされた日から6年の歳月を掛け、ようやくドームでの高田戦にまで辿り着く。


UFC.5を最後に、ホイスがその姿を表舞台から消し、ヒクソンが最強神話を作り上げる事で、その門下生も含め、一族は次々と日本のリングに乗り込み、一族全般でその利益を供与するシステムが出来上がる。


しかし、それはPRIDEを運営するDSEサイドも同様で、長州・藤波の名勝負数え歌のように、人気のある抗争は客に飽きられるまで続けたい、との意図が無かったとも言い切れないのでは?


このタイミングで桜庭VS.ヒクソン戦を実現させれば、伝説の一戦として語り継がれるものになった事は確かだが、それは同時に、どちらが勝ったとしても、この抗争の図式に終止符を打ってしまう事にも成りかねない。


まだグレイシー側にUFCで伝説を築いたホイスというカードが残っている状況で、ラスボスの投入は時期尚早とも言える。


恐らくグレイシーサイドは、切り札であるヒクソンを一旦引っ込める事で、ホイスの日本進出の舞台を整えるという策略を持ち、DSE側もそれに同意しリリースしたのではないか?


最後の切り札を温存する事で、たとえホイスが倒される事になっても、グレイシー幻想は保たれ、日本人との抗争継続が可能になる。そしてホイス以下一族の面々は、自由に日本市場で稼ぐ事が出来る。


これは桜庭から見れば、梯子を外された格好になってしまうのだが。


当時のヒクソンは単なるアスリートとして試合に挑むのではなく、一族の幻想を一身に背負い、絶対に敗ける事の許されないもので、ヒクソンの敗北は一族の崩壊に繋がるという重圧を伴うものなのだから、そう易々と挑戦を受ける訳にもいかないだろう。

狂気 8 ~最強という名の幻想~




そして、桜庭VS.ヒクソン戦は実現しないまま、PRIDE GRANDPRIX 2000でのホイス・グレイシー日本上陸へと繋がる。


来日初戦、トーナメント1回戦で高田延彦と戦ったホイスは高田をグランドに引き込み、通常絶対的に有利とされるマウントポジションの高田を、ガードポジションの状態からパンチを浴びせ攻め続けるという、まさに本場のバーリトゥードテクニックを披露するファンタジックなものだった。
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もし、これが隣の後楽園ホールで行われた試合ならば、大いに盛り上がり伝説の一戦と呼ばれたかも知れない。


しかし、広大な東京ドームの客席からは、いったい高田は何をやってるんだ? としか映らない。ドームのメインで、これを延々15分も見せられ、時間切れ判定決着では観客も堪ったものではない。


高田~立てよ~!! という怒号が飛び、冷めきった空気の中、派手な盛り上がりもなく、高田延彦時間切れ判定の末、グレイシーに3連敗という最悪の結末で、ホイス・グレイシーの初来日は幕を閉じる事となる。


それは同時にPRIDE GRANDPRIX 2000 決戦ラウンド興行の大ゴケを予感させる物であったが、ここから怒濤の巻き返しに転じる。


急遽記者会見を開いたグレイシー一族は、2回戦の桜庭戦のみ、時間無制限、レフリーストップ無しの完全決着ルールへの変更をごり押しする。


この会見で、高額なファイトマネーを請求した挙げ句、ゴネ捲ってルールの変更まで要求するグレイシー(ヒール)VS.苦渋の決断でそれを飲み、師匠の敵討ちに討って出る桜庭和志(ベビーフェイス)という図式を作り上げ、冷めきった空気から一転、日本中の注目を集める世紀の大一番に転化する。
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本当にグレイシーサイドが一方的にゴネているだけなのであれば、契約書にサインしなければ良いだけで会議室で充分事足りる話。


記者会見など開く必要はまったくない。




70年前に日本人に教わった柔術を、地球の裏側でずっと守り続けて来た一族は、やっと辿り着いた憧れの日本の地で、国を挙げてのブーイングを浴びる事になる。


そう考えれば、あまりに酷い話だが、視聴率至上主義のフジテレビ前ではそんな同情など通用しない。


しかし、この一連の流れも、シリーズ中にフルタイムドロー、場外リングアウトなどで観客の鬱憤を溜めさせ、最終戦で爆発させるという、昭和プロレスの匂いが漂ってくるようだ。




日本中が見守る中、ホイスとの伝説の一戦を征しグレイシーハンターの称号を得た桜庭は、返す刀でPRIDE.10ヘンゾPRIDE.12でハイアンとグレイシーを撃破して行くのだが、その視線の先には常にヒクソンの姿が有った。




お兄さん、そろそろ僕らも年なんで試合お願いします!!




ことある毎に、手の届かぬヒクソンに対戦を要求し続ける桜庭の姿は、昭和プロレスの黄金時代を築いた両巨頭の構図を思いおこさせる。
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東京ドームの花道を悔し涙で引き上げた若者は、叶わぬ想いを胸に秘め、終わりの無い戦いを続ける事で、その名を歴史に刻んだ。


そして2015年ドームの花道を涙で引き上げた若者は、再び立ち上がり歴史に名を刻むチャンピオンへと成長した姿を魅せてくれるのだろうか?
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いや、この話は本編とまったく関係無い。






様々な人間の思惑と偶発的な出来事が複雑に絡み合い、膨張を続けた格闘技バブル。その過程には幾つかの分岐点が存在する。






もし、あの時点で桜庭とヒクソンの対戦が実現していれば、未曾有の格闘技バブルにまでは発展しなかったのではないか?




そもそも、1997年10月11日東京ドームの舞台で、高田がヒクソンを倒していれば?






更に遡れば、高田がヒクソンと対戦する因縁が生まれた。


1994年12月7日
ヒクソン・グレイシー柔術アカデミー 道場破り


これが、プロレスの地盤沈下や格闘技バブルを起こしたすべての元凶なのだろうか?





いや、安生洋が道場破りに送り込まれる切っ掛けは?




1993年11月12日
The Ultimate Fighting Campionsihp

そもそもホイス・グレイシーのファイトスタイルは極端に動きが少なく、静と動で例えるならば、"静" これは決して、観ていて面白いものではない。


初期のPRIDEのリングでは、高田、桜庭など、その団体を崩壊させられたプロレスラーとグレイシーの遺恨という対立構造が有ったからこそ盛り上がった。

何故、あの寄せ集めのトーナメントで、ホイスがそれほどまでに注目を集め、話題になったのか?



あのオクタゴンのリングには、静と動。いや "静" と "狂気" という、対立概念が存在した。




コロラド州デンバー
マクニコルス・スポーツ・アリーナ


アメリカの地方都市で行われた大会は、本来様々なバックボーンを持った格闘家が集まり、お互いの技術の優位性を競い合う、夢の異種格闘技トーナメントになるはずだった。




あの男の存在さえなければ…




男の狂気は八角形のリングを恐怖で支配し、狂乱の宴に変えた。




そして…




狂気は伝染する!!