新年あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

この年末年始は大寒波の影響で多くの地域で豪雪となりましたのであまりリアリティがありませんが、この旅行記はまだ夏の東北地方です。

 

もう八月下旬なのに残暑が厳しく、いや残暑どころではなくフェーン現象によって特に日本海側は記録的な暑さに見舞われていました。

 

電源付きのキャンプ場で暑さが和らぐのを待って日を過ごしたり、女房とクルマと犬のすみれを秋田のホテルに残し、東京出張などをしたりでなかなか前に進めない旅が続いています。

 

秋田の日本海側には男鹿半島があり、その付け根に八郎潟があります。

 

八郎潟はもともと日本で二番目に大きい湖だったのですが、戦後に干拓によって農地化され、干拓で出来た大きな土地には大潟村という名前がついており、調整池として残った部分を現在は八郎潟や八郎湖と呼んでいるようです。

 

ところが、干拓の完成時にはすでにコメが余って減反政策を進めており、結果的に必要のない農地開発をしたのではないかという批判もあったようです。

 

八郎潟の干拓技術はオランダから導入されたそうですが、実は戦後処理のサンフランシスコ講和条約をオランダに批准してもらうため、賠償金の代わりにオランダへ技術協力費を支払うことのできる大規模事業をアメリカの要求によって無理に作ったらしく、いわば大人の事情で始まった事業なのでしょう。

 

八郎潟の名前の由来は「八郎太郎」という人名です。

 

八幡平、十和田湖、奥入瀬」でも触れましたが、青森、秋田、岩手の三県にかけて三湖伝説という民話があります。

 

八郎太郎はもともと現在の十和田湖付近に住んでいましたが、川の水をがぶ飲みしていていたら龍に変わり、なぜか十和田湖を作ります。その後、十和田湖に住み付こうとした南祖坊と対決して負けて当地まで逃げ、それまでは島だった男鹿半島の根元を堰き止めて八郎潟を作ったということです。(話の内容は地域によって微妙に違います)

 

三湖伝説は、おそらく十和田湖の大噴火が三県に及ぼした被害譚が各地で民話化し、いつしか統合されたものだと思いますが、それよりずっと以前に島だった寒風山の南北両側に砂州が伸びて出来たのが確かに八郎潟であり、なぜ昔の人はそのことを知っていたのか不思議に思います。

 

その八郎潟を通り過ぎ、男鹿半島に向かいます。

 

小学生の頃、家族旅行で男鹿半島に来たことがあり、その時はとてもウラさみしい印象を受けました。人がまったくいない歓楽街を見て、父が「これがホントのいないいないバーだね」とおやじギャクを盛んに飛ばしていたことを覚えています。

 

今回も男鹿半島は相変わらずさみしいところなのかと思っていましたが、結果としては強く印象に残る面白い場所でした。

 

まず男鹿半島の入り口にある寒風山に向かいました。

 

寒風山は標高355mとそれほど高くない山ですが、山頂付近はなだらかで芝生に覆われており、とても気持ちのいい場所です。

 

 

 

 

またここからの風景も絶景であり、過去には誰かが世界三景として紹介したりしています。

 

 

 

 

ちなみに世界三大〇〇や日本三大〇〇、あるいは日本一の〇〇とかは言ったもの勝ちですので、地方ではしょっちゅう目にします。

「〇〇日本百選」はホントなのでしょうが、逆に百もあると思うと微妙です。

 

いずれにしても寒風山からの眺めは素晴らしく、どうやらパラグライダーの聖地でもあるようで、その日も何台かのパラグライダーが飛んでいました。

 

 

パラグライダーを撮影する女房

 

 

さて、秋田と言えば「ナマハゲ」が有名ですが、特に男鹿半島ではナマハゲを観光資源として力いっぱいフィーチャーしており、国の重要無形民俗文化財やユネスコの無形文化遺産にも登録されているそうです。

 

確かに、男鹿半島に入っていくと目に入るナマハゲ率が徐々に高くなっていきます。

 

どうやらここではヤクザまがいのナマハゲがゆるキャラも兼任しているようで、最後には道でもまんじゅうでも「なまはげ」の文字やビジュアルが所かまわず付けられています。

 

 

 


ナマハゲとは、大みそかにごっつい鬼(本当は神様)の装束を着た人がそれぞれの家を周り、怠け者や親の言うことを聞かない子供を叱るという行事をいいます。

 

 

 

 

囲炉裏にずっと当たっていると「ナモミ」という低温やけどの跡がつくそうですが、ナマハゲには囲炉裏に当たりっぱなしの怠け者のナモミを剥ぐ、という意味があるそうです。

 

聞き分けのない子供に「言うことを聞かないと〇〇が来るぞ」と言うのは世界中のほとんどの親の常套句でしょうし、ナマハゲのようにそれをコミュニティ単位で行事化した例も過去には無数にあったでしょう。

 

他にもそれが現在まで残っている地域があるようですが、男鹿半島のナマハゲが突出して知名度が高い理由がここに来てよく分かりました。

 

男鹿真山伝承館に行くと、ライブでナマハゲを見ることができます。

 

ものすごい勢いで座敷に入って来て一通りすごんだナマハゲは、主人の前に座って供応を受けつつ、書面のようなものを出してそれを見ながら話を始めます。

 

 

見学者のお子さんが大泣きし、「何でも言うこと聞きます!」と

叫んでいたのがさらに雰囲気を盛り上げていました

 

 

子供はいい子にしているか、嫁は怠けてないか、などの他にも、おばあちゃんの病気はどうだとか、今年は作物の成りはどうだったかなど、家族全体のことを尋ね、主人がそれに一つ一つ答えます。

 

言うことを聞かない子供だけを対象にしているのかと思ったら、家族みんなを気にかけ、言葉遣いこそ乱暴ですが、とても優しく暖かいのです。

 

その後、ナマハゲは主人からご祝儀を受け取って帰っていきます。

 

ナマハゲが始めに取り出した書面は、事前に主人から家族の近況などを聞き取ったり、こう言って欲しいなどの要望を書き留めたものでしょう。(万一余計なことを言ったら、後でナマハゲ役の若者が年長者の主人からこっぴどく怒られるに違いありません)

 

このように、ナマハゲは単に子供を怖がらせるだけのものでなく、装束といい内容といい、パッケージとして非常に出来がいいのです。

 

それぞれの理非を正して家を繁栄させるということだけではなく、コミュニティの結束を高め、またナマハゲ役は未婚の若い男性ですので、年配者の考えや家庭の在り方などを学ぶ機会でもあったでしょう。

 

それが現在まで残り、秋田県の記号にもなってしまった理由だと感じました。

 

それでも高齢化や過疎化でナマハゲをする集落は年々少なくなっているようですので、ナマハゲを後世に残すためにも観光化に踏み切ったのでしょう。

 

ただそれを承知で一つだけお願いするとすれば、さすがに「ナマハゲ駐車場」や「ナマハゲソフトクリーム」はナマハゲの神秘性が薄れますので、もう少し命名範囲を絞った方がいいようにも思います。

 

ちなみに泊まったキャンプ場も「なまはげオートキャンプ場」というところでした。

 

 

入道崎灯台近くの売店にもナマハゲアイテムがいっぱい

 

 

暑さが和らぐのを待ちながらさらに南下し、秋田市の郊外にある国際教養大学に寄りました。この大学の図書館は秋田杉をふんだんに使った円形の構造をしていて、インスタなどでも有名らしいのです。

 

 

出典:国際教養大学

 

 

しかし、行ってみるとコロナの影響で図書館への部外者の立ち入りが禁じられており、仕方がないので小ぎれいで整然としたキャンパスを散歩して帰りました。

 

 

 

 

私の通っていた大学はもっとオンボロでしたので、こんな大学ならもっと出席したのにと、この大学の学生がうらやましく思いました。

 

さらに南下し、山形県に入ります。

 

 

ゴジラ岩

 

 

道の駅象潟ねむの丘

 

 

つづく