千歳からほど近い夕張市に行ってみました。

 
夕張市といえば昔は炭鉱の街、今は夕張メロンで有名です。
ところが、2007年には不名誉なことに財政再建団体に指定されてしまいました。
 
財政再建団体とは財政がこれ以上立ち行かなくなった地方自治体のことで、財政再建団体に指定されると国の協力と管理のもとに財政を立て直していくことになります。企業倒産に似ていますが、借金がチャラや棒引きになるわけではなく、何が何でも返さないとなりません。
 
財政再建中の夕張市はどんな雰囲気なのか、そして少しでも夕張市にお金を落として応援できればと、ぜひ行ってみたかったのです。
 
夕張市は明治初期から炭鉱の町として栄え、一時は12万人の人口を擁するまでの都市になりました。
しかし、石炭から石油のシフトによって炭鉱は次々に閉山し、現在では7,600人余りと、全国で下から二番目の人口まで過疎が進んでいます。
 
夕張メロンは知名度はありますが、夕張市は山あいの都市なのでそもそも農業には向かず、農家も多くないので市を支える産業という訳でもなさそうです。それでも夕張市民に伺うと、「JAはお金を持っているらしい」ということですので、主要産業の乏しい夕張市では貴重な収入源なのでしょう。
 
さて、夕張市が財政再建団体に転落したのは石炭の急激な需要減が主要因ですので、構造的な問題、いわば仕方がないことにも思えますが、それだけでもなさそうです。
 
簡単に言えば、観光業へのシフトがことごとく失敗し、やることなすことが裏目に出て膨大な借金を抱えてしまったようです。
 
私も経営者の端くれですので、事業はやれば成功するものではないというのは理解していますが、夕張市の場合はやる前から結果が見えているようなルーズなやり方で失敗に失敗を重ね、最後には傷口に塩を擦り込むように違法な起債までやって借金を膨らませています。
 
しかし、もちろんそれにかかわった人たちに悪気があったわけではなく、むしろ夕張を生かすべく、寝食も忘れて必死にがんばられたに違いありません。
 
何が言いたいかというと、資源依存の怖さです。
 
地下資源は地面にお金が埋まっているようなものですので、掘り出しているうちは寝ていても収入が入り、人も増え、何をやっても好循環が生まれます。
 
しかしそのことが人々から徐々に現実感覚を奪い、危機感や先見性が失われていきます。
 
そして、いざ資源が尽きると今度は歯車が逆回転を初め、好循環だったものがすべて悪循環に変わって行きます。
そうなると優秀な若い人材から我先に泥船から逃げ出し、残った人たちではもうどうにも対処できなくなるのです。
 
夕張の財政再建団体指定は、夕張の人たちの責任というより、人間誰しもが持っている依存に対する弱さが原因なのではないかと思い、そこに他人ごとではない悲哀を感じてしまいます。
 
後付けで「もっと早く手を打っていればよかったのに」と言うのは簡単ですが、石油の枯渇を見越して企業育成や投資に力を入れているサウジアラビアなどは、豪勢に改造した巨大な自家用機数機と召使い数百人を連れて技術協力を頼みに日本に乗りつけるお大尽ぶりですので、タイトな企業育成などほど遠い話です。
 
やっぱり、本当の危機にならないと資源依存から抜け出すのは難しいのでしょう。
そしてその時はもうほとんど手遅れなのです。
 
現在、夕張市は削れるものはすべて削り、市長以下の職員や市議の報酬も初任給かそれ以下の金額に下げてまで財政再建に取り組まれており、順調に借金を返済されているようです。
 
一日も早く借金を完済し、晴れ晴れとした気分を取り戻せるよう、心から夕張市を応援しています。
 
さて、夕張を走るとやっぱり裏寂しい感じが漂っていて、道の駅もオンボロ感があります。切り詰めているので仕方ないのですが、トイレが去年から故障中とのことで、代わりに近くの新夕張駅がトイレを24時間開放してくれているそうです。
 
調べてみると、7カ所の公衆トイレも2カ所を除いて閉鎖したそうです。
観光の一番のベースはトイレですので、再建後を考えても公衆トイレだけは整備された方がいいのではないかと感じました。
 
その後、夕張市炭鉱博物館というところに行ってみました。
 
グーグルマップを頼りに近づいていくと、ホントにここでいいの?というような廃墟的なエリアで、駐車場の染みだらけのコンクリートの間から雑草がボーボー生えたりしています。
 
 
 
 
ここもつぶれてしまったのではないかとクルマを停め、恐る恐る坂を上ると、それまでとは180度違う近代的できれいな建物が見えてきました。
 
 
 
 
中に入るとここは見事に今風の博物館で、そこに置かれた何やらバカでかい掘削機械もアイアンオブジェっぽく、いやがおうにも期待は膨らみます。
 
 
 
 
その他の空間もビックリするほどオシャレでストーリー性もあり、漂う電通臭の中、楽しく展示を見て回りました。
 
 
 
 
 
 
エレベーターで建物の地下に降りると、いよいよ坑道を模した長いトンネル状の展示場があります。というか、ここは実際の坑道跡かも知れず、ここを抜けると初めに入った建物ではなく、駐車場に出てきます。
 
トンネル内には本物のゴッツイ機械がゴロゴロ置いてあり、一つ一つ見ながら徐々に進んでいくと、館の人が展示物のガラスケースを「どうしても曇っちゃうんですよね」と言いながら拭いていました。
 
 
 
 
聞けば、この人はここの館長さんでほぼ私と同じ年。
駐車場でCRUISEをご覧になったそうで(その時は来場者は私しかいなかったので)、いろいろな話で盛り上がりました。
 
 
館長さん
 
 
そのうち館長が「ちょっと機械を動かしますね」と言って操作盤に手を伸ばします。
「そんなことできるんですか?」と待っていると、すごい音を立ててそこらじゅうの機械が動き出しました。
これらはもちろん実際に使っていた本物の機械で、特に炭の壁をガリガリ削るドラムカッターが圧巻です。
 
贅沢にも館長に一対一で各機械がどのように連携するかを解説いただきました。
 
デモンストレーションが終わると、最後にポツンと「この機械を動かすのに電気代が一回700円かかるので、今ので一人分の入場料が消えましたよ」とおっしゃり、私たちは恐縮しながら逃げるようにその場を立ち去りました。
 
この博物館はホントに充実していて見ごたえがありました。
勉強になるだけでなくエンターテインメントとしても楽しく、日本半周した今でも博物館系で三本の指に入るくらい印象に残りました。
 
帰ってから調べると、この施設もずいぶん紆余曲折したようで、何度か閉館の危機に瀕しましたが、最後には産業機械の保存運動のようになり、苦しい財政の中、市が腹をくくって改修し存続しているようです。

間違いなく続けていく価値のある施設だと思いますので、周辺の草むしりをして、ちょっとした宣伝をすれば、もっと多くの人を呼び込めるのではないでしょうか。
 
皆さんも北海道に立ち寄られた際には、ぜひ夕張市炭鉱博物館に行ってみてください。
 
心の中で再度夕張市にエールを送りながら辞去し、襟裳岬に向かいます。
 
夕張から襟裳岬までは約250km。
その間は何もないので、「襟裳岬」を熱唱しながら、ただただ突っ走ります。
 
北海道の南部には馬の背のような日高山脈が縦に走っています。
その南端が海に落ち込んだ部分が襟裳岬で、海に落ち込んだ後も山脈の残骸である岩礁が沖合7kmまで続いています。
 
襟裳岬は風が強く、濃霧も出やすいところで、行った日は雨。
霧も濃く、何にも見えませんでした。
 
 
 
 
風の館という施設があり、風を体験する風洞アトラクションが名物だそうですが、稼働のタイミングが合わず。入場料を払って館内に入るとアザラシかなんかが見えるということですが、霧で今日は見えませんとのことで入場せず。
 
 
 
 
結局、収穫は襟裳岬に立って襟裳岬を熱唱したことくらいでしたが、それでもなぜか襟裳岬に来た満足感いっぱいでクルマに戻りました。
 
この後は帯広を初めとする十勝地方に向かいます。
いよいよ始まるザ・北海道な風景が楽しみです。
ここまでは雨や曇りばかりでしたが、天気も回復していきます。