※これは離婚調停中の私の頭の中の思考&検証です。
なぜ人は恨むのか、なぜ人は許せないのか
そんなことを考える。
だけど、そう言ってる自分が争い怒るのは考える資格が自分にもないと思った。
だから、許すこと恨まないこと、悔しくても間違いだと否定され、傷つけられても、争わない。恨まない。
きっとその先に答えがあるはずだから、、
しかし、現実は辛い。いくら許しても人は否定を繰り返す。勝ちたいのか?意地なのか?
1つわかったことがある、怒りや争いは感情のままにおこなうが、1度飲みこみ冷静になれば、その怒りは一時的なものと悟れる。
さらに、恨み辛みはなくなる。それどころか本質にたどり着き、その時の感情より、その人のいい面すらみつけだせる。
きっとそうしてけば、自分は人を恨まない、許せるそう信じている。
しかし、これは自分だけがわかっていても意味がないと人は言う。
確かにその通りだ。争いの最中でこの行いをするのは最早、冤罪の死刑宣告を頷いて聞いているのと一緒である。
妻を嫌いにならないために怒りのままに行かず負けに行く行いをすれば、結果的には、嫌われる人となる。
すごく考えた、戦うのか負けに行くのか。正しい答えはわからない。
だから私は多くの人がしないことをしようと考えた。
それは争いの最中、争わないと言う選択だ。
相手は怒りのままにぶつかってくる、それを怒りで返し、泥沼にさせないことだ。
正直、これはかなりの精神的苦痛が来る。
最早、相手は怒りで恨んでいるのに自ら攻められ納得していくのは、結果的には言うことをハイハイ聞いていくことだ。
辛い辛い戦いだ、
否定をされるから怒る、怒りがあるから視野が狭くなり、怒りと恨みの負のスパイラルの完成だ。
ここまで来るとただただ、恨み節だ。
最終的には悪者扱いをうける。
とても辛い。
この感情はいくら精神力最強のハイパーポジティブな私でも、何度も死にたいと思ったほどである。
嫌われる人生をおくって来た私の中でも最上級の嫌われを誇っている。
私も怒りついつい攻撃をしそうになる(少ししてしまってはいたが、、)しかし、必殺技の怒りを飲み込むを使い、冷静さを戻すのが幾度となくあった。
争わない、これは難しいことだと実感したと同時に、これは正解なのかと疑心もでてきた。
なぜ人は恨むのか、なぜ人は許せないのか
そんなことを考える。
だけど、そう言ってる自分が争い怒るのは考える資格が自分にもないと思った。
だから、許すこと恨まないこと、悔しくても間違いだと否定され、傷つけられても、争わない。恨まない。
きっとその先に答えがあるはずだから、、
しかし、現実は辛い。いくら許しても人は否定を繰り返す。勝ちたいのか?意地なのか?
1つわかったことがある、怒りや争いは感情のままにおこなうが、1度飲みこみ冷静になれば、その怒りは一時的なものと悟れる。
さらに、恨み辛みはなくなる。それどころか本質にたどり着き、その時の感情より、その人のいい面すらみつけだせる。
きっとそうしてけば、自分は人を恨まない、許せるそう信じている。
しかし、これは自分だけがわかっていても意味がないと人は言う。
確かにその通りだ。争いの最中でこの行いをするのは最早、冤罪の死刑宣告を頷いて聞いているのと一緒である。
妻を嫌いにならないために怒りのままに行かず負けに行く行いをすれば、結果的には、嫌われる人となる。
すごく考えた、戦うのか負けに行くのか。正しい答えはわからない。
だから私は多くの人がしないことをしようと考えた。
それは争いの最中、争わないと言う選択だ。
相手は怒りのままにぶつかってくる、それを怒りで返し、泥沼にさせないことだ。
正直、これはかなりの精神的苦痛が来る。
最早、相手は怒りで恨んでいるのに自ら攻められ納得していくのは、結果的には言うことをハイハイ聞いていくことだ。
辛い辛い戦いだ、
否定をされるから怒る、怒りがあるから視野が狭くなり、怒りと恨みの負のスパイラルの完成だ。
ここまで来るとただただ、恨み節だ。
最終的には悪者扱いをうける。
とても辛い。
この感情はいくら精神力最強のハイパーポジティブな私でも、何度も死にたいと思ったほどである。
嫌われる人生をおくって来た私の中でも最上級の嫌われを誇っている。
私も怒りついつい攻撃をしそうになる(少ししてしまってはいたが、、)しかし、必殺技の怒りを飲み込むを使い、冷静さを戻すのが幾度となくあった。
争わない、これは難しいことだと実感したと同時に、これは正解なのかと疑心もでてきた。