妻の母の姉 叔母が昨年亡くなった。

 岩手出身の義母は上京し義父と出逢い結婚し横浜で暮らした後、私達夫婦を追って大三島へ。

 

 叔母は岩手から北海道の女満別へ嫁ぎ今に至った。

 コロナ前に母は女満別に久しぶりに姉に会いに行った。

 その時、再会を約束したが

 直後のコロナ騒動で県を跨いでの移動が制限された。

 叔母は体調を崩し施設へ入院した。

 すると面会もできなくなり母もコロナ収束の目途が立たず

 北海道へ足を伸ばす事はできないまま叔母は亡くなった。

 

 叔母は亡くなったが叔父が娘さんを連れて北海道から大三島に来てくれた。

 叔父は移動中も叔母の遺影を胸に抱え、何かと叔母に語りかけていた。

 リモーネに叔父が来た時も、なにやらモゾモゾと実況しながら店内に入ってきたそうだ。

「ほら、こんな店構えちゃってトモコも頑張ってるよ」

 など。

 妻いわく、たまにそんなお客様もいるようで珍しい事ではないそうだ。

 私に何かがあったら妻は旅先で私の遺影に話しかけるだろうか?

 生きてる私にだって話しかけない妻が遺影に声をかけるとは到底、思えない。

 

 大三島の旅館さわきさんで豪勢な夕食を楽しみ、翌朝は叔母の散骨の為に再び近くの埠頭に集まった。

 快晴で海も満潮で小魚が泳いでいる姿が肉眼でも見て取れる。

 パウダー状に小さくなった叔母の骨を各自、ひとつまみして瀬戸内海に散布する。

 きらきらと海面に弾ける陽光を受け、叔母の骨は紙吹雪のように海中へ光を放ちながら

 静かに沈み瀬戸内海と一体となった。

 素直に綺麗な光景だと感動した。

 私に何かあったら妻は瀬戸内海に散骨してくれるだろうか?

 

 すれ違いが多く、互いに良かれと思った行いが裏目にでる事が多い。

 なんだかチャオプラヤ川に散骨しそうで不安だ。

 タイは好きだが、ゴミの散乱する深く濁ったチャオプラヤ川を思い出し

「勘弁してくれ」

 私は首を振る。

 

 お世話になっている園主さんは90歳を越えているが健脚で毎日の散歩を日課にしている。

 肺の病気を患い入院していた時期もあったが、つい数年前まで蜜柑栽培をこなす

 体力もあってか、今は散歩ができるまで回復された。

 散歩の終盤には車道の先にある

 港に腰を降ろして海を眺めている姿を車でよく見かける。

 やりきった男の顔でいつもと変わらない凪の瀬戸内海を眺め

 夕陽を背中で受け止めている。

 その姿は一枚の絵画のように美しい。

 

 私にも「やりきった男」を着こなせる日が来るだろうか?

 

 実はBOWYの中ではこの曲が一番好き。

 まだ「暴威」だったけど。