俳優の渡辺裕之さんが亡くなった。
そのニュースをきっかけに東京にいる旧友とメールのやり取りをした。
旧友とは当時、組んでいたバンドのギタリストWさん。
いまから32年前。Wさんも私も二十代前半。
バンドの練習場所は東京の幡ヶ谷に時間貸し音楽スタジオがあり
週二回、メンバー四人がバイトシフトをやりくりしてスタジオに
集まり、練習に励んだ。
そのスタジオで渡辺裕之さんをよく見かけた。
近くに所属している事務所があり、空いた時間をやりくりし
スタジオでドラムを叩いていたらしい。
証明を落とした暗い室内で一人、黙々とドラムを叩く姿はストイックそのもので
格好良かった。
そのストイックさが後に重石となったのかもしれないが。
一聴してロックではない、変則的な複雑なリズムのドラムで
ぼうっと耳をすまして通路にたたずむ私に
ジャズ、と受付のおばさんから聞いて納得したものだ。
スタジオに流派があるのか、タイミングなのか、
幡ヶ谷のスタジオは「パンク系」ロックのお兄さんがよく集まっていた。
そんなスタジオの通路で所在なげに渡辺裕之さんを待っていたのが
後に奥様となる原日出子さんだった。
綺麗な女性で伏せ目で一歩、下がった印象だったが
単に柄の悪いロック小僧達との接触を避けたかっただけだと
今なら理解できる。
ボーカルのSくんは静脈が透けるほどの色白なのに加えて、夜勤業務だったので
真っ黒に日焼けした渡辺裕之さんが側にいると、オセロのような鮮烈なコントラストは今でも覚えている。
幡ヶ谷といえば「つのだ☆ひろ」さんも見かけたことがある。
同じ「つのだ」兄弟の漫画家
「つのだじろう」さんも近くにいるかも、と辺りを見回したことがあった。
今も我が家に「恐怖新聞」コミックが全巻揃っている。
十年位前までは講演会など催されていたようだが
さすがに八十五歳の現在は活発な活動は控えているようだ。
リモーネの近所の生鮮商店の主人が脳梗塞で倒れしばらく入院することとなった。
私と一回りも違わない歳なのに、と現状を心配すると同時に我が身の
健康も頭によぎる。
元ギタリストWさんとも互いの加齢による不調を報告し合った。
身体の不調と共に「心」が風邪をひかないように
自身にも、周囲にも気配りが必要なのだろう。
生鮮商店の主人が倒れたおかげで地域猫達の餌の配給がおろそかになった。
それまで猫達のテリトリーは平和に保たれていたが、
生鮮商店の主人が入院した事で秩序が崩壊した。
飢えた猫達がリモーネに遠征して餌場を巡る小競り合いが起き始めたのだ。
自分の酒代を減らしてもキャットフードを確保したおかげで
潤沢にあるキャットフードを生鮮商店まで行って猫達に与えた。
また生鮮商店の常連の方が日に何度か足を運び餌をあげることで
無為な紛争を避けることに成功した。
なんだか紛争の縮図のような出来事がリモーネで起こっている。
責任感の重圧に耐えられなくなったら、自分ならどうするだろう?
自死はしないと思う。
抗って駄目なら逃げて、逃げて、逃げて、生き延びて
見つかり捕らえられて
責められても、ほとぼりが醒めた頃に笑い話にしそうな気がする。
そんな自分にはまだ精神的ゆとりがあるのか。
渡辺裕之さんのご冥福をお祈り致します。
当時四歳の息子が「恐怖新聞」を読みあさる。
諸星大二郎先生の本のタイトルも確認できる。