昨年末、園主さんの元へ挨拶へ回った。

三人の園主さんが入院していた。

園地を借り受けた時が七十代後半だったから

九十歳近い高齢となっている現実を今さらながら痛感する。

 

年は越えたが心の底から「おめでとう」と言うには何かが引っかかる。

園主さんだけが歳を取った訳ではなく。勿論私も歳を取った。

真冬でも起きがけにアイスコーヒーを飲んでいた私は、もういない。

数年前から白湯を飲んでいる。

 

寒さに弱くなったな、と実感する。

そんな我が家の暖房器具は「石油ストーブ」だ。

暖かいが給油が面倒で一日おきに給油している。

当然、私の仕事が暗黙の了解となっている。

 

様々な申請書類の作成に追われた12月のある日

時間を作り島にあるガス会社に相談に向かった。

地域限定のCMかもしれないが

広島が誇る芸能人の雄

「吉川晃司」が出演するガスファンヒーターのCMが私の脳裏に深く刻まれている。

帰宅した吉川晃司がスイッチを入れると瞬時に

ガスファンヒーターが部屋を暖めてくれる。

温風にのけぞる吉川晃司のポーズが格好良かった。

私ものけぞってみたい。

そんな願望を持ちつつも未だ実現に至らず

石油ストーブで寒さをやり過ごす我が家の冬。

 

踏み切れない理由は私自身にもあった。

実は小学四年生の頃、ガス中毒の現場を目にした。

 

遊びから帰ってくると三歳上の兄と、当時父が雇っていた職人が部屋でもがいている。

足が痛いと現場を休んで家にいた職人さんと同じように

兄までが四つん這いになり這いずり回っている。

その部屋に煌々と燃えるガスストーブ。

二人は申し合わせたように嘔吐し始めた。

阿鼻叫喚とまさにあの光景を指すのだろう。

母はすでに死去しており、父は不在だったためすぐに近所の家に駆け込み

救急車で二人は病院に運ばれ事なきをえた。

 

そんな私のガスに対する不安をガス会社に伝えると担当者は

「今の時代、そのような事故はほとんど聞いたことがありませんね」

と昭和の出来事を一蹴し、ガス探知機と一緒に

デモ機のガスファンヒーターと小型のボンベを持って

我が家に設置してくれた

のけぞるほどではないが、まぁ暖かい。

何より給油からの解放がありがたい。

しかし帰宅した妻の反応はすこぶる悪かった。

風音が気に障る、やかんが乗っけられない。など不満を私にぶつける。

いつか慣れると説き伏せたが翌日昼間、畑から帰宅した私は

玄関でのけぞった。

玄関にはデモ機で借りたファンヒーターとボンベが置いてあったからだ。

「返却せよ」

妻からの無言のメッセージであることは明らかだ。

切れたトイレットペーパーの交換さえ「面倒くさい」を理由にしない妻が

ここまでするとは……。

ちなみにのけぞった私のポーズが吉川晃司だったことは言うまでもないだろう。

かねてからの念願がこのような形で叶おうとは夢にも思っていなかった。

 

ガス会社に持って行くと、我が家のような

ケースの場合、ガス赤外線ヒーターも用意しているという。

「やかんは乗せられますか?」

私の問いに担当者はにやりと笑って頷く。

「昔ながらのスタイルをそのまま続けたい、というお客様も多いですから」

 

使用した妻の反応は「まぁいいんじゃない」

我が家の冬はガスストーブで決まった。

移動もできるので工房でも活躍している。

 

家庭の暖は一件落着したが年末に半年ぶりに

オヤジバンドのライブが復活した。

自粛期間を無駄に過ごしたくない思いから

キーボードで一曲マスターした。

二十四小節を繰り返す三分ほどの短い曲。

本来、笛のパートゆえにト音記号、キーボードで言うなら

右手だけの曲で難易度は低い筈だが

不器用な自分には果てしなく大変だった。

他人よりも習練の過程を長く楽しめる、と前向きに気負わず

練習を重ねた。

メンバーから

「意外に弾けてましたよ」

の一言に単純だが、この半年が救われた気がした。

ちなみに極寒の中での演奏だったので

のけぞるどころか、縮こまってしまった。

キーボードの演奏ではいつか小室哲哉のようにのけぞってみたいものだ。

 

 

不安げに私を見つめる息子とストーブの前を占領する猫たち。ネロのポーズ付き。