2013年初冬。

一匹の雌猫がリモーネに迷い込んだ。

餌付けが趣味の妻は「きじ子」と名付けた。

きじ子はお店で餌を貰いすくすくと育った。

梅雨が明けた頃、きじ子は子供を生んだ。

三匹のサバトラ柄に黒白のぶちの計四匹。

しばらくお店で様子を見ていたが、四匹全てが

獣医師の目により雌猫であることが判明した。

数ヶ月後にはこの四匹が、また四匹の雌猫を産んで

その数ヶ月後、また……と想像しただけで頭を抱えた。

妻と協議した結果、全員に避妊手術を行うことにした後、

生命力が強そうで主張の激しい

「三ツ目(額に目の柄があり手塚治虫先生の漫画から拝借)と身体の大きいマリタン」

の二匹はお店で飼うことにした。

なぜか私にだけべったりの

「キジパン」は引き取る事は決めていたが、妻に懐いていた黒白のぶち「クロタン」を自宅飼いすることに、妻は躊躇していた。

四匹全てを引き取るべきだったが、すでに我が家には三匹の猫がいて相性など様々な事情で考え決断できないでいた。

 

クロタンの顔は雑な柄で顔も他の三匹に比べるとドスが効いているというか、仔猫らしさがなかった。

妻は店に貼り紙でクロタンをアピールし必死で貰い手を探した。

他の三匹がピンと伸びた尻尾なのにクロタンだけはトーナメント表で勝ち進んだラインのように

尻尾が折れ縮んでいる。

西洋では「幸せを引っかける」意味で「折れ尻尾」の猫は重宝される事を盛り込んだチラシを店内に

貼り売り込むが実物と対面するとお見合いは惨敗に終った。

結局、愛嬌はあるがクールな三白眼のせいでか、クロタンに貰い手は付かなかった。

一匹で遊ぶクロタンを他の三匹は冷ややかな目で見つめている光景をよくみた。

「柄が違うから仲間外れなんだね」

妻はクロタンを家で飼うことに決めたようだった。

 

しか我が家で奇跡の出逢いがあった。

雄猫のネロである。

イケメンのネロにキジパンもクロタンもぞっこんになった。

三角関係でイビツだが、キジパンは私とネロを二股にかけていたおかげで

上手い具合にバランスがとれて

クロタンはネロにひっついて独占状態だった。

家で飼って分かったことがある。

一匹で遊ぶクロタンは仲間外れにされていたわけでなく

誰よりもエネルギッシュで野生的な猫で他の猫と活動量が違ったのだ。

その点、体格も上回るネロがクロタンと同じ目線で遊んでくれてますます両者の絆は深まった。

 

キジパンが私とネロを上手く使い分けているがクロタンは不器用なほどネロ一直線だった。

もう、妻には見向きもしない。

特に子供が生まれてからクロタンはさらに人間に距離を置くようになった。

 

 

家に馴染まない、度々脱走するクロタンは外飼いの方が良いのかも、と

思ったがネロに逢いたい一心で戻ってくる。

 

脱走したクロタンは数ヶ月家に戻らないこともあった。

餌は家の前に置いていると食べにくる。

しかし毎夜中、「寂しそうな声」で開けたガレージで鳴き続ける。

家に戻りたいのかとドアをあけるが、壁に身をすり寄せて

「まだ外で遊びたいしぃ」ともじもじしている。

近寄るとあっという間に逃げて行く。

その繰り返しで夜が明けていく。

外に行きガレージのシャッターを降ろしてクロタン確保をしようと試みるが

シャッターと地面のわずかな隙間に頭をねじ込みこじ開け逃走する。

その身体能力に驚いた。

そんな真夜中から明け方にかける私とクロタンの小芝居はいつの間にか

「クロタン劇場」

と妻から呼ばれることになった。

そもそも妻のドア開け放しや窓の施錠が不十分が起因なのだが、その辺りは言及すまい。

 

脱走対策を強化しクロタンは家にいる時間が長くなった

だが、毎夜中三時半頃に私を起こし来るようになった。

規模は縮小し、形態は変えたが新しい「クロタン劇場」の始まった。

深夜、なぜかこの時だけのクロタンはさわり放題、いじり放題で

何をされても嫌がらなかった。

朦朧とした頭でクロタンをここぞと撫でまわす。

まるでソワレとマチネの顔を使い分ける娼姫だ。

クロタンに導かれるように階下に行くと他の猫共が

がん首を揃えて夜食を待っている。

餌の催促のために自身を投げ出しているのか。

正直、この深夜の「クロタン劇場」が辛く思う事もあった。

 

そんなクロタンが先日亡くなった。

一週間前は元気だったのに急に元気がなくなった。

日中、大人しく触らせるだけでクロタンが異状な状態であることは明らかだった。

即日連れて行った病院での血液検査の結果、「急性腎不全」と診断され予後が良くないことを告知され入院することになった。

昨年と今年で二匹の猫を看取ったが二匹は二十年生きた。

人間で言えば百歳。

クロタンは人間で言えばまだ五十代。

家猫は二十年生きると盲信していた私は虚を突かれた。

退院したクロタンをネロ達が優しく寄り添うことが

あれば感涙ものだったが現実は違った。

死を予兆させるクロタンにどの猫も近寄ろうとはしなかった。

きっと本能的なものだろう。

退院して日々通院したが改善はせず、ある朝六時になる地域のチャイムを聞きながら私が身体をさすっている時に

呼吸が止んだ。

苦しかっただろうに静かな最期だった。

数十年飼っていても、泡を吹いて叫び死んでいった飼い猫の最期が頭から離れない、と語っていた人が

いたが、まるで風が止んだような自然な旅立ちはクロタンから私への配慮だったのか。

骸となったクロタンにはネロを始めとする猫たちが警戒せずに

近寄ってきたのをみて安心した。

急性腎不全の原因は不明だ。

妻と究明しようとしたが、互いの落ち度を責めるばかりで

発展的な会話にならなかった。

最近、保護した雄猫のBONや昨年保護した雄猫二匹が

大好きなネロ兄さんにべったりでクロタンが入り込む事が出来ずにいた。

そのことが免疫力を低下させたことにならないだろうか。

 

今でも毎夜、三時半に習慣で目が覚めてしまう。

私はベッドから起きる。

階下におりるとそこにはクロタン劇場に魅せられた

猫たちが並んでいる。

 

思い出には返し針がついていてクロタンを

思い出す度に疼痛を伴うだろう。

忘却の彼方へ放置する仕打ちはしない。

主演は不在だがまだまだクロタン劇場は続く。