私の向かいに座る、帳簿を一覧した壮年の酒類指導官が深いため息をついた。

 意を決したようにその男性は眼鏡を外すと震える声でこう絞り出した。

 

「私も長年、この職務をして参りましたが、これほどまでに

見事に整った帳簿は初めてです」

 

一拍置いて彼が頭を下げた。

 「参りました!」

 

 酒類指導官は椅子から降り土下座の体制を取り始めた。

 酒造場の床に涙の滴がしたたり落ちた。

 隣にいた若手の酒類指導官が悔し涙で充血した目で私を睨みつけると、

上司に従うように椅子から腰を浮かし酒造場の床に膝をつけようとしている。

 私は二人を制した。

 

「ここまで帳簿が整ったのも、日頃の松山税務署酒類指導官のご指導のおかげです。

さぁ、立ち上がって。そう、顔を上げて胸を張ってください」

酒類指導官の二人は、明るい目を私に向ける。

「山﨑さん!」

「指導官!」

 男三人が肩を組み、感涙の雄叫びがリモンチェッロ酒造場の空間を潤す。

 私は酒造場の小窓から覗く、寒露の日暮れに目を細める。

 極寒だった今年の冬を思い出し身が縮まるが

互いを支える肩の温かみから暖冬の予感を掴み取り私は小さく何度も頷いた。

 見事な大団円で終了した税務調査だった。

 

 

 なぁ~んて事は勿論なく調査は三日にわたり淡々と進んだ。コロナの影響で

約五年ぶりの調査だった。

 結果、数カ所の記入漏れと計算間違いが発露した。

 前日から準備して当日朝からボトリングしてラベル貼りやら酒造場の清掃やら帳簿へ記帳など

スタッフもいるがやること、チェックすることがあまりにも多い。

 かつて、東京の職場で間違いを指摘された社員が

 

「一生懸命やっているんだから、しょうがないでしょ!」

 と開き直ったが、そんな言い訳は税務署には通じない。

 勿論、仕事以外にも『一生懸命』が加味されて、大目に見てもらったり結果が覆ったことなぞない。

 ボクシングもそうだった。

 追徴も仕方ありませんね、その辺りは諦めの早い私が認めると

 税務調査員から、「まぁ一人でやられているならしょうがないですわ」

 と同情されるが、屈辱と自戒の念は深まるばかりだ。

 

 会ってみれば分かるが私個人は特徴に乏しく印象に欠ける人物だ。

 なのに「リモーネ」は目立ち一人歩きしている。

 法人としての税務調査もそう、遠くないニュアンスを税務職員から感じ取る。

 

 リモーネのご主人を知らない人だって大勢いる。

 そういえばかつて、パン屋起業を目指す男性と「パンの試食会」を

 リモーネで月に一度開催していた。その男性が

「ご主人ですよね」

 参加者の一人から旦那と勘違いされた時。

「勘弁してくださいよ!」

 彼は慌てた素振で両手を大きく振って全力で否定した。

 ヒトの女房捕まえて 「勘弁してくれ」 たぁ、どんな了見だ! 

 頭に血が上る前に 「まあね」 と納得した記憶がある。

 あるときは司祭のように一挙手に耳目を集める反面

 最側近には暴君の振る舞いをする妻。

 税務署の指摘にも

「勘弁してくださいよ!」

 と言ってみようかな。

 だが、泣き言で人生が好転した試しはない私は結果を淡々と受け入れるのだろう。

税務署職員の指摘を伝えると妻は

「馬鹿じゃないの!」

吐き捨てた。

馬鹿が私か調査員か、あるいは両方なのかは確かめなかったが、妻を調査に

立ち会わせなかったのは正解だったようだ。

 

緊急事態宣言が解除になった十月から税務調査が活発になった噂は聞いていた。

皆さんも備えましょう。

 

しかし、チャオプラヤ川を眺めシンハービールで一息つける日は訪れるのだろうか?

それを支えに、そして今、実をつけている果実達を励みに頑張ろうっと。