部屋を整理していると妻から

「断捨離?」

と声をかけられた。私は

「断捨離だと思うから迷いが生じる。これは終活なんだ」

と力説するが振り返るとそこにもう、妻はいない。

 

特にきっかけはない。

部屋を有効に使いたいと突き詰めたら物を整理するしか術はなかった。

妻の希望で毎月届いていた料理月刊誌が段ボールで数箱あった。

目新しい誌はない。

最近は届いた先から妻が目を通しメリカリなどで販売するから古い物しかない。

一応、会社の経費で購入している雑誌なのだが……。

 

いつか使おうと、とっておいた雑貨、消耗品も劣化で使えないものが多くあった。

仕事関係で保存期間の定められているものは期間を超えたら毎年処分していたが

直近の期だけ置いてそれ以外は倉庫へ。

雑誌やCDは数回に分けてブックオフに持って行きその都度、数百円に姿を変えた。

料理雑誌に関してはコロナの影響かすでに閉店している店舗も多く掲載されていたのだから

安くてもありがたく思うべきか。

 

おかげでスペースができた。ところがさらに整理していたら

亡き父の私物が段ボールで出てきた。

半日かけて精査する。

当然、金目のものはなかった。

封筒に膨らみがあり開封してみると旅券の半券だったりチラシだったり。

少しでも期待した自分が愚かだった。

だが、私と妻が結婚した時の祝福の言葉がノートに一言あったり

妻がイタリアへ留学中に父に送った葉書が和紙に包まれ保管されていたり

私が後楽園で試合したボクシングのパンフレットがあったり

自身が入院した時の日記が出てきたりと感慨深いものがあった。

残高が二十万ほどの通帳も出てきた。

その通帳と印鑑も出てきた(昔は印鑑が通帳に押印されていたから確認できた)

父が亡くなる四年前の記帳が最後だ。

私は記憶を遡るが定かではない。

父の残高は生前にすべて私が引き出したのではないか。

そのあたりの小銭勘定に抜かりはない自分だ。

第一に放蕩者の父が四年も二十万を塩漬けしていることも、また残高が増えていることも考えられない。

待てよ。

それ以前に丸の内の家庭裁判所に通い、ややこしい手続きを経て「相続放棄」した自分には父の貯金を

引き継ぐ資格はすでにないのではないか?

その他に債権の書類が出てきた。

昔借りた消費者ローンの利息が返ってくる、とよくラジオで聴き相談したくなるが十年以上経っているし

そもそも「相続放棄」でチャラになっているはずだ。

父から相続したものは「思い出」だけだったと綺麗に着地させたいが

 

「金は借りるまでが勝負だ。借りたらこっちのもんよ!」

 

生前不敵な笑いを浮かべる父を思い出すと、どこに着地点を誘導させたいのか

感情がまとまらない。

まぁ故人である父を知る多数の人が「面白い人だった」と妻も含めて評しているのだから、全体的な人物像は「面白い人」だったと思う。

自分もそう思う。

 

で、空いたスペースだがそこにランニングマシーンを置いた。

地域のジムではコロナ禍で利用の制限があり満足にランニングマシーンが使用できない。

理由はないと言ったが本当の理由はこれだ。

終活どころか、まだまだ現世にしがみつく気概タップリじゃないか、俺。

 

そういえば息子が三歳くらいの時に赤エンピツを手にした時だった。

息子はじっと赤エンピツをみるとおもむろに耳にかけたのだ。

「ええ!」 

私は思わず声を上げた。

競馬が大好きで馬券場に通っていた父。

体調を崩してからも馬券売り場の雰囲気を味わいたくて

競馬中継の時だけテレビを棚の一番上に置き立って中継を観ていた父。

その父の耳にはいつも赤エンピツが挟んであった。

 

祭りで金魚すくいやゲームをしてハズレても、落ち込むどころか

「運を貯めているんよ」

と平然としている息子。

隔世遺伝でギャンブラーの血を引き継いでしまったのかもしれない。

 

ビギナーズラックにも恵まれない私は鍛錬を重ね格闘技で射倖心を満たしてきた。

ランニングマシーンで地道に汗を流す背中を見せてやるのが

私が息子に伝えられる唯一だ。

勝率は悪くとも大損はしない生き方はギャンブラーにとっては

退屈に映るかもしれないが。

 

なぜか前回のブログに載せた写真が残ってしまった